無一居

写真レンズの復刻「むいちきょ」
紀元2012年1月創業

幾何学計算に基づいた世界初のレンズ2

人物撮影用レンズについて - 2013.01.27


アストロ・ベルリン ゾフト・フォーカス 75mm f2.3
Astro Berlin Soft Focus 75mm f2.3

 19世紀のブラスレンズも欧州の各メーカーがいろんな工夫を凝らして製造していますので結構おもしろいのですが、いかんせん現代のデジタルのフォーマットには合いません。昔の大きな板に焼き付けるためのレンズで現代のセンサーで撮ると限りなく中心部分のみを使って撮影することになってきます。それでは肝心のレンズ特有の味が解り難くなりますし、そういう使い方は意図されては作られていないので、そういうレンズを使う意義というものがわかりにくくなってきます。それに望遠、しかも長過ぎるものばかりになってしまい、取り扱いに困ることになります。ですから、より小さいフォーマットでの撮影のためのレンズがあれば良いのですが、ライカのような小型カメラが出だしてからは、レンズの設計に対する考え方も変わっていき、かつてのような描写のものはなくなっていきました。これは相応しい方向への変化ですから、単なる懐古趣味で古い考え方を維持すべきというのはアブノーマルです。製品はそれぞれ時代に適ったものが作られていきました。

 そういう風に見ると、アストロ・ベルリン Astro Berlinゾフト・フォーカス Soft Focusレンズ、本稿では75mm f2.3を撮影して参りますが、映画用の小さいフィルムで撮影するためのレンズに懐古的な構成が採用されているのはとても珍しいものです。レンズ構成は、最も古い人物撮影専用レンズと思われるシュバリエ Chevalier(仏)のフォトグラフ Photographe a Verres Combines a Foyer Variable(「可変焦点距離の組み合わせレンズによる写真術」の意)あたりが原形になります。下の光学設計図はアストロの本ソフト・フォーカスレンズの設計図でシュバリエのフォトグラフは、前群と後群の向かい合う部分の曲率がほとんどゼロでフラットです。エミール・ブッシュ Emil Buschのニコラ・ペルシャイド Nicola Perscheidはどちらも凹で(独特許 DE372059)、下図の前群の反転したものが後群にあります。ペッツバールは、下図から後群の貼り合わせを剥がしたものです。本レンズ構成は人物撮影用の構成の中で最も由緒正しき血統を有したものと言えます。

アストロ ゾフト・フォーカスの光学部
 シュバリエのフォトグラフ(当時は写真のことではなくレンズそのものを指した言葉だった)は、1842年にウィーンで行われたコンクールでペッツバールを退けてプラチナメダルを獲得しました。シュバリエは手作業の勘でレンズを研磨しズームも可能、一方ペッツバールは数学的に値を決定した精度の高いもので、ズームはしないというものでした。コンクールではペッツバールは評価されませんでしたが、市場では優勢になって現代に至るまで存続し、性能の安定しないシュバリエのレンズは淘汰され現在ほとんど残っていない幻のレンズとなっています。これら人物撮影用レンズの系譜の1つにアストロ・ゾフト・フォーカスレンズもあるということになります。

 しかし極めて重要な事実は、本レンズがイメージサークル60mm前後で中判のフォーマットで使えるだろう程度のものであるということです。これぐらい小さくなってくるとレンズ本来の味が、それより古いブラスレンズよりも分かりやすくなってきます。この点の価値において、アストロの本レンズは過去の名玉を凌ぐと言っても言い過ぎではないかもしれません。

 この時代のソフト・フォーカスレンズは絞ると急速にシャープになりますので、ソフト・フォーカスの効果を得るにしても適性と思うあたりを探りながら撮影していくことになります。多くの事例では、ソフト効果を使っているかどうかという微妙なところを探ります。調整機能はついていません。調整リングは、最初期の最も古いタイプのソフトフォーカスか、近代に日本製が出てくる頃のもの以外はありません。

 ソフト・フォーカスレンズは、人物や動物など生きているものだけしか撮れないわけではありませんので他の対象を狙っても表現を追求できると思います。それでいろいろ撮ってみようと思いますが、元々のソフト・フォーカスレンズの効果に対する考え方は女性を美しく若く写すということにあるので、そのあたりはどうなのか見てみたいと思います。しかしこの作業においては以下の金言に留意して進めたいと思います。

「ひとの写真を撮るのは恐ろしいことでもある。なにかしらの形で相手を侵害することになる。だから心遣いを欠いては、粗野なものになりかねない。」- アンリ・カルティエ=ブレッソン Henri Cartier-Bresson(1908.8.22-2004.8.3) マイケル・キメルマン『語る芸術家たち 美術館の名画を見つめて』木下哲夫訳 淡交社 2002年 58頁

 ブレッソンはポートレートの名手であって、うちには彼の肖像写真を集めた写真集もありますが、こういうことを言っては撮影し、ついには画家になってしまったのですが、写真は一瞬で生身の人間を撮るわけですから、もちろん発表していない失敗のカットもあっただろうと思います。(絵画であっても同様の問題は有りうると思います。)他人が撮影したものもいろいろ見てきただろうと思いますが、多くの場合、被写体に気に入られる写真を撮るのはたいへん困難です。ブレッソンが撮影した写真を撮られた有名人が気に入らなかったということも当然数あれば幾らかはあったと思われるので、難しさも感じていたかもしれません。上手な写真を撮ればそれで良いというわけでもありません。以前に腕の良いカメラマンと話し合った時の内容ですが、彼が結婚式で撮影を頼まれた場合のことに及んだ時ですが、結婚式というのは要するに花嫁が主役なので、乱暴な見方をするなら、とにかく花嫁を奇麗に撮れば要求の大部分は満たされることになります。この作業があまりにも素晴らしかった場合というのは、結婚式という独特な精神状態の中でしか見られない若い女性の美というものが切り取られているということも意味していて、忙しい夫がよく見ていなかった、知らなかった彼女のある部分を他人が掴んでいたということも言えないことはないわけです。そうすると感情的にその作品集が気に入らない、もう見たくない関係者が出てくるということも実際にあり得ます。こういうトラブルを起すカメラマンというのは並のスナップシューターではないのは明らかですが、そうであるがゆえにブレッソンの言う「相手を侵害」してしまうこともあるということなのです。その人の背景まで知っていなければ人物写真は撮れないのか・・・おそらくある部分まではそう言えると思います。あまり親しくない間柄の場合、その溝をブレッソンの言う「心遣い」で埋められるかどうかというところが試されると思います。これこそが、人物撮影の要諦のような気がします。

 皆さんにこういうことをお話しして、その一方で左手にマウント取付済みアストロ ゾフト・フォーカスを持っている私はどうさせていただいたらいいのでしょうか。それで、まずはこれをご覧いただこうと思います。
















アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 セルフポートレート
 自分を撮る分には誰からも怒られません。しかし男がソフト・フォーカスで撮影しても違和感があります。それでしっかり対策を考えて演出致しました。向かって右の床に裸電球(光量調整不可。つまり一般の電球でガラスは透明)、左には盗難に遭わないように自宅に入れている自転車の篭に最近非常に安く出回っているダイオード電灯の電池式のものを放り込み、これに付属してあった白の磨ガラス調のフィルターを付けています。R-D1にはセルフタイマーが付いていないので古いワルツ Waltz社製(日)のものを付けて、三脚はこれまた古い無名のメーカーのもの(独)を使っています。幾分安っぽいので脚がカメラとレンズの重みでしなりますが、雲台が結構しっかりしているので問題はありません。

昔のストロボの広告
 (「古い」ばかりで恐縮ですが)このリンホフ Linhofのストロボの広告を見ると適切と思われるライティングが解説されており、否、そうではなく従来より正面から強い光を当てることの問題点が指摘されていてジャーナリストが出先でその問題をどうやって克服するかを示した図に違いありませんが(美人を配置した関係上、意図はわかりにくいのですが、販売対象者はすぐにわかったと思われる)こういうことができるのでリンホフを使いなさい、ストロボもセットで買いなさいという趣旨であろうかと思いますが、ライティングに関しては今回、これと同様の考えに基づき配置してみました。

梅蘭芳
強いライティングであっても、演出意図に適っていれば問題はありません

 とはいえ、違う色温度の光源を2種使うとおかしくなるので、本来はどちらかを止めてレフ板に変えた方が良かっただろうと思います。全部やめて蝋燭に変えた方が良かったかもしれませんが面倒ですから、誰でも簡単にできる、特別な設備を用意しなくて良いライティングの例ということでやってみました。作例でも左右で光の色が違うのがおわかりいただけると思いますが、この例ではこれを逆手に取って演出利用していますので、こういう使い方をする範囲においては問題ないだろうと思います。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 セルフポートレート2
 ダイオード電灯は、光の量を調整できますので、少しづつ変えていきながら効果を試したのですが、そのうちの一枚をトリミングしてみました。古いソフト・フォーカスレンズはおしなべて上品なので、特にこれが際立っているということはないと思いますが、奥ゆかしい表現がアストロらしいと思えます。ことさら主張することのない、一歩控えた品が感じられます。

 f値は3.2、一段絞っています。
 絞りの目盛りは古い大陸式でこのように刻印されています。
2.3 3.2 4.5 6.3 9 12 18
 実際にはf2.3よりも大きくなるし、f18よりもはるかに小さくなります。小さい方は使わないでしょうからどれぐらいなのか調べませんが、限りなくきれいに小さくなるということだけ言えば十分でしょう。映画用ですのでフェードアウトするために極小か完全に閉じる絞りを採用しています。本レンズはソフト・フォーカスですから、ほとんど開放でも撮らないように思います。それでも一応こちらは調べておきました。f2.3の時にシャッタースピードが1/42だったら、完全開放で1/39になり、ボケも深まりました。だけどあまり奇麗と思えません。f2.3であれば品があるので、メーカーとして許容できる範囲を示したのかもしれません。こういうところの律義さがいかにもアストロらしいと思えます。f4.5ぐらいになると相当シャープでf6.3に至ってはもはや完全にソフト・フォーカスではありません。本レンズをソフト・フォーカスとしての本来の使い方をするならf2.3~f4.5の間で周辺の光の状態との兼合で決定するものと思います。人工光でライティングを組むのであれば、一段絞ったところが一番具合が良さそうです。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 辛いおでん屋
 ソフトの量は光の量とも関係がありますので、あまり明るいうちに屋外で撮影すると変に煌めきに出るような気がして、夕方から撮影してみることにしました。昼間の撮影でも適度に絞れば問題ないのですが、こういう人工光で主に使われるレンズの場合はやはり人工光で見てみたいというのもありますので、いよいよ暗くなり始める30分ぐらい前から撮ってみます。一段絞ってf3.2ですが、結構効果がかかります。こういう店は北京市内にたくさんあります。辛いおでんです。夜中の2,3時でも出没します。この時間帯は周囲が停車したタクシーで一杯になります。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 羊肉串
 同じく多いのは、羊肉串です。主にウィグル人が経営していますが、これもあちこちにあります。こうして屋外で焼いて店内に持ち込む形式が多く見られます。f3.2は効果が強過ぎると感じるようになり、ここから下はf4.0ぐらいに控えて続行します。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 喫茶店のメニュー
 割とすっきりして落ち着きました。これだともう少し絞ってもいいかもしれませんが、これぐらいで続けていきます。人物撮影の場合、女性であればこれぐらいでいいと思いますが、男性や子供など成人女性以外はもう少し絞る方が良いように思います。もちろん、作画の意図もありますので、適切な量が決まっているわけではありません。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 北京ダックの店
 北京ダックを売る店です。安いものはおいしくないので、北京ダックが嫌いという人は結構います。16元(200円)で売っていますが、160元(2,000円)ぐらいであればおいしいものが食べられます。ソフトというよりザワザワ? ワナワナと言った方がいいかもしれませんが、これが夕暮れ時の雰囲気があってなかなか良いと思います。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 提灯
 3階建ての料理屋の2階部分です。1階は非常に明るいので、その光が下から廻られて雰囲気が今一つです。素材としては良かっただけに残念です。異色の光を混ぜるのは極力避けるべきでしょう。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 北京特産売り
 これも提灯が白い蛍光灯に潰されています。しかし白は柔らかい雪のようで良いと思います。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 樹木
 ようやくこのあたりで明るさが失われそうですので、遠景を撮っておきます。絵画的な情景です。意外と自然撮影でもおもしろい作品が作れそうな感じはあります。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 街灯
 点いたばかりの街灯です。周囲はすでに暗くなっているのに、街灯は明るいですから光量に落差があります。それが滲みの原因になっているような気がします。こういう場合は、もう少し絞った方が引き締まるかもしれません。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 塀と西洋風街灯
 これももう少し鮮明さが欲しかったところなので、失敗だったかもしれません。奥の方のボケはノスタルジックでなかなか良いのではないかと思います。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 ネオン
 ネオンに囲まれて中央に店内が見えます。このような光があまり強くないところは適度な鮮明さで柔らかさもあり調和が取れていると感じられます。しかしネオンは単にボケただけのようにしか感じられません。もっと絞れば良かったので、ここは注意すべき点だろうと思います。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 楽器店
 まだf4で続行していますが、これはまずまず良い雰囲気です。これはもう少し開いた方が良かったかもしれませんが、この素材であれば硬い写りのレンズでも見栄えはすると思いますので、撮影者の考え方次第だろうと思います。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 バー
 これは偶然にもベストだったかもしれません。絞りの設定は容易でないと思えます。それでシャッタースピードを見て見極める方法は使えないかと思い調べてみましたが、全くあてにならないようです。経験を積み重ねる必要がありそうです。カメラのモニターでははっきりわかりにくいですし、対象を肉眼で見極める慣れが必要と思います。アストロで撮影する電灯は美しいので、ベストの匙加減であれば、満足できる効果が得られると思います。

アストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス SoftFocus 75mm f2.3 日本酒
 壁に瓶が飾ってあるオブジェですが、いずれも日本の酒です。後ボケが奇麗なので、構図に困る事もありません。一方、前ボケは汚く乱れます。現代のソフト・フォーカスレンズもこのように作られています。球面収差がアンダーコレクションになっている場合はこのようになります。このような収差状況の場合、画面全体にバランスの良い作画が可能です。しかしポートレート撮影のように人物を浮かび上がらせたい時は、オーバーコレクションにする必要があって、ライツ Leitzのタンバール Thambar 90mm f2.2はそのように作られています。しかし後ボケは汚くなるデメリットがあります。どちらもそれぞれですが、このアストロ・ベルリン Astro Berlin ゾフト・フォーカス Soft Focus 75mm f2.3は、人物を撮るにしても風景に溶け込むような撮り方をするものと思います。

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