フォクトレンダー Voigtlanderというと一般的にはオペラグラスが有名です。同社の創業した都市はオペラで有名なウィーンだったので、取り巻く環境によって生み出された製品の1つだったと言えるかもしれません。
ウィーン学友協会大ホール
取り巻く環境というと、フォクトレンダーに与えた影響はもう1つあり、それは世界で初めて光学計算に基づいたレンズ設計がウィーンで行われたことでした。ペッツバール Petzvalが設計したこのレンズはフォクトレンダーに委託されることになり、それによってフォクトレンダーの名も世界的なものになりました。
光学界の発展はここから始まったと言え、別の言い方をすると現代でも使えるレンズはペッツバール以降と言うこともできます。フォクトレンダーは始まりであったかもしれませんが、発展の過程は全欧州の発展と同じ歩調であり、特徴的なのはヘリアーの発表ぐらいで、特に際立ったものはありませんでした。フォクトレンダーはウィーンからドイツへ移りましたので「オーストリアの光学会社」という独自性も失い、特別な存在意義を感じさせる要素に乏しくなりましたが、それが表面的な部分だけだったのは興味深い点です。フォクトレンダーは戦後に至るまで独自の描写を保ち続けました。どのようなレンズ構成を採用しても、その特徴が失われることはなく、それは「貴族的な輝き」を映像にもたらすというものでした。後の時代に至るまで、失われた帝国の煌めきを留めていた点でフォクトレンダーは価値のある遺産ということができます。
ペッツバール型のレンズは、フォクトレンダーの歴史上、最も重要なレンズでしたが、肖像撮影用として非常に好評だったことで長期に生産され、このことによって設計変更のバリエーションを幾つも生み出しました。
最初期のペッツバール自身が設計したものは1つ目で、以降曲率や間隔、絞りの位置を変えながら変更され、わかっているものだけでこれだけあります。また後群を貼り合せたラピッド・レクチリニア型もユリスコープ Euryscopの名称で作られました。
さらに、ダゴール型へと発展したのも、欧州の他の光学会社と同じでした。これはコリニア Kollinearという名称で販売されました。
フォクトレンダーは英クック Cookeからライセンスを受けてトリプレットも製造していました。これは各種あり、ヘロマー Helomar、フォグター Voigtar、ラディアー Radiar(後にダイアリート型へ変更)、アブスコープ Avuskop、ヴァスカー Vaskar、ランサー Lantharの名称があてがわれました。
ヘロマー Helomar
フォグター Voigtar
ヴァスカー Vaskar
トリプレットから1枚増やしてエルノスター型へ発展して、名称をランサム Lanthomとして発表されました。
年
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シリアルナンバー
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1840 |
<300
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1841 |
300
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1842 |
800
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1843 |
1,200
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1844 |
1,600
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1845 |
2,000
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1846 |
2,400
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1847 |
2,800
|
1848 |
3,200
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1849 |
3,600
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1850 |
4,000
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1851 |
4,400
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1852 |
4,800
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1853 |
5,200
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1854 |
5,600
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1855 |
6,000
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1856 |
6,600
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1857 |
7,200
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1858 |
7,800
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1859 |
8,400
|
1860 |
9,000
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1861 |
9,600
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1862 |
10,200
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1863 |
10,800
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1864 |
11,400
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1865 |
12,000
|
1866 |
12,800
|
1867 |
13,600
|
1868 |
14,400
|
1869 |
15,200
|
1870 |
16,000
|
1871 |
16,600
|
1872 |
17,200
|
1873 |
17,800
|
1874 |
18,400
|
1875 |
19,000
|
1876 |
20,000
|
1877 |
21,000
|
1878 |
22,000
|
1879 |
23,000
|
1880 |
24,000
|
1881 |
25,000
|
1882 |
26,000
|
1883 |
27,000
|
1884 |
28,000
|
1885 |
29,000
|
1886 |
30,600
|
1887 |
32,200
|
1888 |
33,800
|
1889 |
35,400
|
1890 |
37,000
|
1891 |
40,000
|
1892 |
41,911
|
1893 |
43,685
|
1894 |
45,431
|
1895 |
46,454
|
1896 |
47,771
|
1897 |
49,084
|
1898 |
54,168
|
1899 |
54,896
|
1900 |
65,691
|
1901 |
68,193
|
1902 |
70,682
|
1903 |
72,638
|
1904 |
75,479
|
1905 |
79,288
|
1906 |
83,477
|
1907 |
88,057
|
1908 |
97,999
|
1909 |
101,649
|
1910 |
105,778
|
1911 |
110,347
|
1912 |
113,569
|
1913 |
118,634-125,975
|
1914 |
126,001
|
1915 |
132,726
|
1916 |
137,682
|
1917 |
139,108
|
1918 |
142,853
|
1919 |
144,419
|
1920 |
154,426
|
1921 |
160,008
|
1922 |
172,136
|
1923 |
194,086
|
1924 |
216,948
|
1925 |
227,929
|
1926 |
248,505
|
1927 |
279,710
|
1928 |
365,562
|
1929 |
537,338
|
1933 |
671,174
|
1934 |
803,220
|
1935 |
1,026,690
|
1937 |
2,000,000
|
1942 |
2,718,530
|
1945 |
2,700,000
|
1947 |
3,000,000
|
1951 |
3,220,000
|
1952 |
3,300,500
|
1953 |
3,461,400
|
1954 |
3,600,000
|
1955 |
3,731,000
|
1956 |
4,001,000
|
1957 |
4,303,000
|
1958 |
4,514,000
|
1959 |
4,802,000
|
1960 |
5,033,000
|
1961 |
5,473,000
|
1962 |
5,900,000
|
1963 |
6,219,000
|
1964 |
6,423,000
|
1965 |
6,664,222
|
1971 |
9,999,999-10,000,150
|