無一居

写真レンズの復刻「むいちきょ」
紀元2012年1月創業

光学設計に革新をもたらした
クックとテイラー,テイラー・ボブソン

現代の光学の基礎を確立した英国のメーカー - 2013.03.04


 適切な光学設計、ガラスの組み合わせ方を探すという作業は、結局のところ、凹凸のレンズを並べるだけですから簡単なようで意外とそうではなかったようです。現代ではいろんな形が出尽くした感があるので全く新しいものが出てくるということはないかもしれませんし必要性もないと思いますが、昔は今のような状況ではなかったのでそういうわけにはいかず、設計自体が計算機がなかったのでたいへんだったということと、そもそも光学設計をするということ自体が現代以上にたいへん困難だったので携わる人数が少なく、このことが必要とされていた新しい発明への大きな障壁になっていたのだろうと思います。それでも19世紀から20世紀の初めにかけて画期的な発明が幾つも行われ、それらは現代光学の基礎になり、また応用して現在でも利用されています。この点でクック Cooke社とテイラー、テイラー・ボブソン Taylor,Taylor-Hobson社による歩みは後代に計り知れない程の大きな影響をもたらしました。

 クック社は光学会社ですが、撮影用レンズは製造しなかったようです。しかしお抱え設計師は割と自由に活動していたようで、その内の一人、デニス・テイラー Harold Dennis Taylorは彼の会社が製造しない撮影用レンズを設計し、しかも自力で製造会社を探して量産にこぎ着けようと努力しました。こういうアルバイトをやっても良い会社というのは昔でも珍しいと思います。そしてテイラー、テイラー・ボブソン社を探し当て、ここに製造を委託することにしました。この長い社名は意味がわかりやすいように意訳すると「テイラー兄弟とボブソン氏」という意味で、3名で経営されていた光学会社であり、デニス・テイラーと同じ姓というのは偶然です。略してTTHと表記されます。TTHは製造を引き受けましたがデニスがクックに所属している身であることからブランド名に「Cooke」を使いたいと考え、これも了承されましたので、CookeとTaylor,Taylor-Hobsonの2つは両方打刻されていることが一般的です。クックの撮影レンズというとすべてTTHの製造ということになります。そして後にこの2社は合併しましたので、それ以降はCooke社の製造ということになります。現代でも製造しています。

クックとテイラーの表示が混在している
 クック社はすいぶん自由な会社ですが、所属していたH.W.リー Horace William Leeもかなり自由にやらせてもらっていたようで、米コダックの設計師だったキングスレーク Rudolf Kingslakeは著作の中で、リーは設計後に試作を繰り返して描写を追い込むコスト高で不効率なやり方を許されていた環境がうらやましいと言っています。リーはオピック Opic型を完成させ、これは後にダブルガウス DoubleGauss型と命名されて現代でも最も有力なレンズ構成です。

 クック社は、利益にならなくても「好きなように発明」して良い類い希な会社でしたが、学会で「好きなように発表」しても良い会社でもあったようで、ここから発信された情報も類い希なものでした。トリプレットの設計は方法まで公開されました。(英特許 GB22607、米特許 US568052) クックは所属する設計師に自由と資金を提供し、そしてその発明を形にしたTTHの2つの会社がなければ、おそらく現代の光学は現代のような形でなかったかもしれません。ライカを始めとした後代の光学会社のレンズ構成ラインナップを見るとクックによるトリプレット(テッサー型へ発展?)とオピック(ダブルガウス型)の開発がなければ、20世紀の光学の歴史は全く違ったものだったのではないかと思えます。この偉大な開発陣が構成していたレンズラインナップはどのようなものだったのか、ここで整理し、光学界に激震をもたらした発想がどんな環境で生み出されたのか、その一端に触れてみようということで確認していきたいと思います。

 クックはシリーズ Seriesという番号表記で自社のレンズを分類していました。番号はギリシャ数字が使われていました。上から0~16に相当します。これらの分類は使用目的、使われるカメラとは無関係で、品質や特徴を示す分類だったようです。アナスチグマット Anastigmatとは、ザイデル Philipp Ludwig von Seidelの5収差、つまり球面収差、コマ収差、非点収差、湾曲、歪曲が補正されたレンズのことです。アポクロマート Apochromatとは三色補正が行われていることを示しています。色はそれぞれ波長が違うのでそれらを成像面(フィルムやセンサー)で一致させるために光の3原色を使って補正しています。

Series 0 : 1920年代に、おそらく番外的に使われていたシリーズ。

Series I : 超高速アナスチグマット 初期はダゴール型、後にキニック Kinic(ペッツバール型の前に凸レンズを一枚追加)。映画用にはf3.1スペシャルレンズシリーズ、20年代にはソフト・フォーカスのレンズ、ペッツバール型のプロジェクターレンズ

Series II : 高速アナスチグマット トリプレット(大判用ポートレート)から始まり、これはf4.5。シリーズIほど明るくはないものの、これも高度な補正が入念に行われています。後にf2クラスの高速レンズがシリーズIIに分類されました。

Series III : 最上級アナスチグマット 大判の広角レンズのような難しいものであってもこのシリーズのものは高度に補正され、あらゆる用途に十全に対応しています。

Series IV : シャッターを備えた高速レンズ シリーズIIIと同等の性能を有し、暗い環境でも撮影できますが、シャッターの有無という違いがあります。シリーズVのように大きなフォーマットには対応できません。

Series V : 大判のシリーズII シリーズIIの品質が保証された大判用レンズです。官公庁や天文台で多く使用されたシリーズです。

Series VI : 大判のスタジオ用レンズ 13,15.5,18インチとあり、室内で使う用途に限定されたもの。

Series VII : 広角大判レンズ レンズ構成は2種あって、abの2種の表記で区別していました。aはトリプレット型ですが、3枚玉を広角に、しかも大判に使用するのは普通考えられないので極めて特殊なレンズです。bはオピック型です。

Series VIII : 望遠レンズ 焦点距離は216-508mm。映画か大判で使われ、レンズ構成は2群4枚のテレ。(英特許 GB144932 GB198958

Series IX : ダイアーリト型 1930年代の短期間に作られたもので、アポクロマートとそうでないものがありました。

Series X : スピーディック型 焦点距離は35-235mm。短いものは映画用でした。(英特許 GB224425 GB299983 GB372228

Series XI : ソーントン・ピッカード Thornton Pickardカメラ用トリプレット このカメラはハッセルブラッド型のレフレックスカメラで、レンズはクック・トリプレット f4.5が付けられていました。価格は5.25ポンドとたいへん高価なものでした。

Series XII : 無 古いレンズと区別するために便宜的に使われたらしい。

Series XIII : 127,162mm f2.9 この2つの焦点距離のレンズのみ知られています。レンズ構成は不明で、スピーディックの安価版ではないかとされています。

Series XIV : パンクロフィルム用 焦点距離は13,16.5,21mmの3種で、トリプレット・アナスチグマットでした。主にスタジオで使われる用途で製造されました。

Series XV : コンパチブルレンズ 12.25インチのレンズで、オプションレンズを取り付けて19或いは26.5インチで使うこともできました。1931年にリーによって設計されたレンズでレンズ構成は以下のような4群8枚でした。(英特許 GB321078)アンセル・アダムス Ansel Adamsによって多くの傑作が撮影されたことで有名です。

クック・シリーズXVのレンズ構成図


Series XVI : 3.54インチのプロジェクターレンズ この一種のみ知られています。


 これらが、後に現代光学に至ることになる偉大な発明を行った"研究室"の分類でした。今時作られている光学レンズはアナスチグマットであるのは当たり前ですが、収差補正がたいへんだった時代にザイデルの5収差が補正できるトリプレットが発明されたのは画期的なことでした ("3枚玉" は何の為にあるのだろうか参照)。クックのリストの中でこのトリプレットが高級品として扱われているのがわかります。しかも高度な補正が可能なものとして広角レンズにさえ使われ、これは現代でも十分に優秀と見なせる程の驚くべき性能だとされています。後にライツがトリプレット・エルマーで示した考え方と共通していることがわかります。

 安価版としてはレンズが1枚多いダイアーリト Dialyte型を採用し、その一方で、ドイツのテッサー Tessarに対抗するために投入されたものも、やはり1枚多いスピーディック Speedic型でした。スピーディック型はアストロ・ベルリン AstroBerlinのパン・タッカー PanTacharへと継承されました。

 オピック型は後にダブルガウス型と呼ばれるようになって最も重要なレンズ構成の1つになりましたが、コーティングがなかった初期の頃は重要性がそれほど高くなかったことがわかります。しかしやがてシリーズ0を経てIIへと格上げされてゆき、トリプレットを押しのけたスピード・パンクロ Speed Panchroの時代になってオピック型の優位性が確立されました。

クック・スピード・パンクロのレンズ構成図
スピード・パンクロのレンズ構成図

 スピード・パンクロはオピック型の改良ですが、参考のためにオピック型のレンズ構成図も比較してみます。(英特許 GB157040

クック・オピックのレンズ構成図
オピックのレンズ構成図

 スピード・パンクロは、映画撮影用のレンズですのでフィルムフォーマットが小さなものになります。そのため、エレメントの厚みを増しても問題なく、さらに高度な補正を掛けるために後群に1枚追加しています。これがスピード・パンクロの大きな特徴です。こうすることによって得られる効果は、色彩がパステル調になっても濃厚な色彩が得られることです。この方法論は、スピーディック型と共にベルリンの光学会社にもたらされ、一時期ベルリンに本社を置いていたシュナイダー社のレンズが重くなっても厚みを増してゆく傾向となって受け継がれたようです。現代ライカの高級レンズも非常に厚みのあるガラスを採用しており、設計を委託されているのはシュナイダー社で、やはり濃厚なパステル調の画を得ています。クック社も今なお現存しており、しかもスピード・パンクロは現代でも作られています。テレビ局などの高度なプロ使用に応えるためで、一方スチール撮影ではライカと、その最高級レンズに今でも活き続けている設計思想です。

 最後にTTHのシリアルナンバーをリストします。

シリアルナンバー
1895 100
1900 5,000
1914 19,500
1918 71,000
1926-27 117,xxx
1939 250,000
1944 303,xxx
1947 300,xxx
1965 688,03x

コラム

Creative Commons License
 Since 2012 写真レンズの復刻「無一居」 is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.