これまではいずれもドイツのレンズをご覧いただきましたが、今度はフランス製レンズ、キノプティック Kinoptik フォキャナ Focale 28mm f2を見ていこうと思います。(豆知識:ソフトで「キノプティック」をフランス語で読み上げさせますと「キノプチ」です。)ドイツの映画用レンズはアストロ・ベルリンとドレスデンのメイヤーが主なものですが、そこから多くを吸収する形で(この2社より歴史がある)パリのソン・ベルチオが独自の発展を遂げました。表現を追求していく中でいろんな表情を見せるレンズが生み出され、フランスの品格が導き出した3つの表現の中で考察しています。その収差の取り方というのは基本的には変わりありませんが、万華鏡のように複雑な表情を見せるレンズ群の中で、明確な統一を図ろうと考えた時に成さねばならないことは簡単ではありませんでした。それがキノプティック社によって選択された方法でした。
キノプティックはレンズの精度を極限まで高めましたが、それを具体的にどのように行ったか、その過程については謎もあります。わかる範囲で見ていきますと、光学設計では、いち早くコンピューターを導入したメーカーになりました。おそらく細かい数値まで追い込み、それら順番に数値を僅かずつずらしたものを試作し、実際に撮影を重ねて最終判断を下したものと思います。コンピューターは機械的な計算はできますが、感性は計算できないからです。さらに最終決定稿の特徴を壊さないように焦点距離をスライドさせていったのではないかと思われます。なぜなら、キノプティックの中心となるレパトワールはすべてダブルガウスで、しかもほとんどf2となっているからです。そして広角になるに従ってレンズは小型化しています。この作業はコンピューターの得意とするところで、現代のパソコンで同じ事をやっても広角になると小さくなっていきます。判を押したように同じものを焦点距離別に揃える意図があったと思われます。それでも焦点距離が変われば変化する部分もあります。世間の評価では75mmが最高とされていますが、これは間違いありません。とはいえ、他の焦点距離でも大きく逸れたものにはならないように作ってあります。そのために厳密さが求められ、最も厄介な作業は組立工程になります。手作業で緻密に組み上げられますので、これがたいへん価格が高額になる理由です。
実際に作例を見ていき、そして他社がやらないレベルの厳密さをキノプティックがどうして求めていったのかを考えると結論はこれ以外にありません。それで本稿で見ていく28mmで得られる描写は基本的に他の焦点距離でも得られます。ただパースペクティブ等が変わってくるので、そのあたりだけ違いが生じるのみです。このキノプティックの発想は普遍性を求める指向性です。もっともスタンダードなフランスムービーレンズは何かを決定づける動きです。この思考法でレンズを製造した会社は他にもあり、他国のもので成功したものは独アストロ・ベルリン、英クックあたりとなりますが、キノプティックは「フランスの・・」という但し書きが付くところに大きな価値があります。普遍性を求めるということは、桃源郷的な志向性です。理想郷だから。いろんなものを洗い流して浄化した時にのみ現れる純粋な美しさを求めているからです。
本レンズは家のすぐ近くにあります宋慶齢(song-qing-ling)同志故居から撮影していきます。什刹海にあります。ライカ使いがこの場所を聞いてすぐに思い浮かぶのは辛亥革命記念バージョンです。辛亥革命とは清朝が滅ぼされた反乱のことです。これを滅ぼして民国臨時政府の総統になったのが孫文です。その妻、宋慶齢は共産党の建国以降、周恩来によって監督施工されたこの邸宅に住みました。
辛亥革命記念版は101台しか作られていないということですが、そうであれば中国人が買い占めても不思議はありません。それにも関わらずまだ店頭にあります。もし共産党建国にちなんだものであれば、1001台でも即日完売だったと思います。価格は10万元でもOKだったと思います。一台づつ違う毛沢東語録が軍艦部に記載、とかそういう感じだったらさらに熱かったと思います。熱過ぎたと言っても良いと思います。その場合は、天安門楼上での発表になるのでしょうか。デジタルでさらに真っ赤であれば完璧だったと思います。
敷地内は漠然と見た感じではよくわかりませんが、かなり立派な木が植えてあるようです。それに相応しい案内も掲げてありますので、ある程度理解できます。これはその案内板の1つです。たいへんシャープでありながら、雰囲気豊かです。背景のボケにも注目してみますと、少々騒がしい感じがあります。この中途半端な距離感の取り方が良くなかったと思います。もっと離すと良いと思います。
背景を離すとこうなります。もうシネ用レンズでお馴染の硬質な背景のボケですが、造形感と実際以上の被写界深度の深さが味わえます。
この2枚を見るとソン・ベルチオと間違えそうです。その逆もしかりです。爆濃型のような白の浮き出し方です。しかしいささか淡い感じです。この物体表面の質感の捕え方は一つの特徴と言っても良いと思います。
そこでさらに物体を浮かび上がらせる、これもすでにお馴染のシネ用レンズの表現ですが、焦点の合ったところは繊細で柔らかく表現されています。この距離感はポートレートで使われるに相応しいと思います。ブランコの鉄柱に文字が書いてあります。「子供用のブランコなので、大人は座らないで下さい」反対側の鉄柱を見ますと、安全のためのようです。重量オーバーだと。子供は使ってOKですが、大人は座っただけで危険なのです。恐ろしいブランコです。このあたりは中国独特の感覚です。中国人は納得できるようです。
池には水草が浮いています。奥の方に焦点が合っています。それで手前はボケてきます。このボケはあまり奇麗とは思えません。可能な限り、手前から奥へという感覚で作画した方が良さそうです。
資料館もあるので入ってみてみます。多くの場合、個人の資料館というのはおもしろくありません。全く期待していなかったのですが、これは意外に見ごたえがありました。たぶんこの人が中国近代史の真ん中を歩んできた人だからだろうと思います。民国建国から関わり、夫の敵だった筈の共産党の建国の際には党の領導人たちと共に天安門楼上に上がっています。その後、副主席となり、後に引退して名誉国家主席となって生涯を終えています。文革も問題なく通過しています。時代や政治体制がいかに変化しても常に高官としての地位を保った極めて稀な人です。この人の人生は則ち、中国近代史そのものであって、その近代史を見る角度はこの一人の女性を通すことになるので、独特の視点となり、まるで現実離れしたドラマのようです。天皇のように象徴的な影響力を持っていた人です。
夫の孫文に関係した資料がたくさんあります。本レンズもマクロで撮れるようにしてありますので、至近距離から狙ったものです。キノプティックのような優れたレンズを改造する時にマクロでも使えるようにしておくというのは有意義です。
衣服も展示されており、絹の立派なものはボディーに着せてあります。これはガラス越しに50cmぐらいの距離と思います。一般に偉人の遺品というとファンでもない限り何の感慨ももたらしません。しかしここの収蔵品はいろんな歴史上の事柄と関連性があるので、かなり貴重なものなのではないかと思えてきます。
宋慶齢が生涯乗っていた車が展示されています。運転手はいたと思いますが、この人だったら自分で運転していたとしても不思議はありません。スターリンから贈られたソ連製とあります。こういうデザインの車は今でも売れそうな気がします。人工光の捕え方もなかなか良いのではないかと思います。
日を改めて中国では「KTV」と呼ばれるカラオケ店に行きます。ここは大使館街の外れにありますので、特に高級なところです。通路には立派なソファーが置いてあるので撮影してみます。ライトが当たっているものとそうでないものをそれぞれ撮ってみます。何となくノーブルな雰囲気があります。
私の二胡老師です。人間国宝です。50~70年代に撮影された中国の有名映画の音楽のほとんどを録音した北京最高の楽団の首席だった人ですが、引退して久しく、もう今では知る人はほとんどいません。老師の幼少の頃の家は現在全域が上海万博会場になっています。当時沈家は中国隋一の大富豪で、周恩来や鄧小平がパリに留学した時には船を待つ彼らに宿泊を提供していました。しかし老師の家は日本軍の爆撃で破壊され、共産主義時代の資産没収を経て没落しました。老師が北京で結婚した時には二次会を中南海の周恩来の家で行ったようです。私は楽器商なので、前に京胡という京劇に使う楽器を作る有名な工房を訪問しました。そこは劉正輝(liu-zheng-hui)と彼の妻(妻の父は中国最高の京胡制作師・許学慈 xu-xue-zi)と見習いの3名でやっていますが、ピンポン押しても中から音が聞こえるのに出てきません。それで3連発を2回浴びせると中で何やら話し合っています。やがてドアが開いたらすでに先客が一名おられました。副首相(当時。今は首相)の李克強(li-ke-qiang)でした。私は政治に疎いし、彼とは新街口で2回会っているということもあって、私にとっては「おっちゃん」です。おっちゃんはとてもユーモア好きなので、私の中では自分と趣味が同じおっちゃんです。おっちゃんは私に「おい、ちょっと拉いてみろ」と言います。私は「嫌や」と言いました。あまりにプッシュするのでしょうがないから少しサービスしてやりました。そうしたら「お前の老師、誰だ?」と言います。「お前はともかく、お前の老師は普通ではない」などと失礼なことを言います。なぜわかるのでしょうか。私は「近所の老人や」と言いました。おっちゃんは「名を言え」としつこく言いますので私は「沈という人です」と言いました。おっちゃんは劉正輝に「おい、もしかして沈立良か」と言います。私は「そうです」と言いましたら、劉師は私の方を向いて「彼は私の老師です」と言います。おっちゃんは日本人が沈を探し当てたことに驚いているようでした。しかし日本大使館関係者が中国文化部(文科省)に「良い二胡老師を紹介して下さい」と言ったら沈を紹介するので、日本人が沈から習っていても不思議はありません。おっちゃんはそこまで知らないのだろうと思います。おっちゃんは優秀な新しい人材に興味があって私に聞いたのだろうと思います。しかし思わぬ方向に行ったのでちょっと驚いていました。思い返せば老師も私が始めて呼び鈴を押した時に「お前、どうやってここを見つけた!」といって驚いていました。私が「あぁ、ネットに載っとる」と言ったら「うそを言うな。そんなところに載ってない」と言います。私は「ん。まあ、その通りですが、この建物はネット地図に載ってますね。下の保衛に聞いたら老師の携帯の請求書をくれたので部屋番号がすぐにわかりましたよ」と言いました。老師は「んー、日本人はやっぱり普通じゃないな。まあ良い。拉いて聞かせろ」これが老師と私の最初の会話でした。おっちゃんの方ですが、最近はとても忙しくなって、よくテレビのニュースに出ています。すっかり会わなくなりました。中国首相は10年間務めるのでもう10年は会わないと思います。おっちゃんはとても難しい仕事を引き受けました。テレビで見る度に心配になります。ぜひがんばってほしいと思います。一方の私の老師は引退し、年配愛好家らを世話してカラオケ屋で演奏会です。そして私の演奏を見ては「違う、違う」と首を振るのはあいかわらずです。
年配といっても、中年ぐらいの皆さんです。師範大学の教職員仲間の方々です。同じ職場でも人数が多いので、その中から同じ趣味の人が集まったようです。演奏中は動いていますので、楽譜に焦点を合わせて逃れました。人工光の下での前後のボケが確認できます。とはいえ、動きがあるので参考程度です。
手前で写真を撮影しているのはリランです。皆さんが使っている楽器は老師がリランの店に行って購入したものです。スポットライトのような鋭い光が上から射しています。映画ではこういう光も使われることがあると思うので、そこもうまくカバーしているようです。
キノプティックの優れた点はまず、焦点が合ったところの描写の確かさだと思います。静止画で見ても十分美しいですが、動画だったらもっと良いかもしれません。
キノプティックは方向性はアストロと合致しています。アストロのフランス版としてキノプティックを作ったのではないかと思える程です。選び抜かれた指針と明確な結果を追求するという点が同じなのです。それでもアストロは2種類のレンズ構成を採用して僅かな選択の余地を残しました。そこをさらに一方に絞り込んだのがキノプティックと言っていいかもしれません。これはこれで一つの考え方です。
しかしベルチオのようにいろんな個性があるというのも良いもので、そういう遊びがないというのは唯一の欠点ですが、キノプティックとベルチオを一緒に交ぜて考えれば、キノプティックはベルチオ派の中の1つのバリエーションという見方はできます。キノプティックには高尚さがあり、ベルチオには穏やかさがあります。
キノプティックはフランスレンズの集大成的なものであるゆえに、フランスを代表するものと言えます。それと同じことはドイツのアストロ・ベルリンにも言えます。あらゆる可能性を試した中で本当に大切な部分だけを昇華させて高まり、清らかさに達した究極のレンズです。