小店の方で幾つか撮影したものから特徴のご説明です。
距離は1.5mぐらい、f2.8です。ボケた部分は全部奥ですが、硬質な感じで輪郭が明確です。f2.8は開放から一段も絞っていませんが、ソフト効果を深めたい場合はこの辺りから開いていくことになりそうです。
そこでf2.6、ほんの僅かですが、開けたものです。ピントは前の花の中央付近なので、それより手前のつぼみはボケていて柔らかくなっています。こういうボケ方は使いにくそうです。こういう収差のレンズは基本的に手前の柔らかいボケは使わないものと思います。
そのまま同じ設定で別のものも撮ります。花の3点はコーティング無しのレンズで撮影しました。
f2.8で、距離は5mぐらいです。コート有りです。
f2.4ぐらいで最短距離です。以下4点はコート無しです。
同じ設定で少し距離を開けます。
これもやはり後ボケが使いやすいと感じられます。画が引き締まっている方が使いやすそうです。
和紙の方が雰囲気が出そうです。
以下は近所とか旅行で少し撮ったものをご覧いただきます。ライカM3でフジ ネオパン400です。ネオパンにカビが生えていましたので影響が出ていますが、そこは気にせずに行きます。尚、カビは現像で死滅しております。
これは、花影S1の説明をしているページの最後にポートレートを貼っていますが、その続きです。こういう構図は難しいものがあります。というのは、この写真では主題がバイオリンの老師です。ですから、そこにピントを合わせるのが常識です。しかしそうすると手前の人物が不自然にボケるのです。それで手前にだいたい焦点を合わせて、奥に向って見通すような作画になります。それよりむしろ、絞って撮るべきですが、ここではソフトフォーカスという前提なのでそれはできません。従って結論は、作画の通りになります。そうするとバイオリン老師の描写はひどくなりますが、ここでは極端な逆光のため、その弱点はあまり強く影響していません。しかし、いささか無理のある一枚です。
蘇州城内の裏路地です。これは特に何もありません。
暗いところは明瞭さを増し、明るいところはボケやすくなりますので、絞りの加減はこういう理由で難しくなります。
このように暗いところでも、同じ絞りを保つとこのようにシャープになってしまいます。
中国風の格子があって、そこから客が覗いて中から店員が見ています。なんだか、幾何学的哲学的作画ですが、そもそも店員はいきなり突っ込んできたのだから、意図なぞ何もありません。そして店員は主役に躍り出ているのです。
夜は難しいです。デジタルであればもっと明瞭に出るのですが、それが必ずしも良いとは限らないし、このように肉眼でも光と影の落差が激しいところでは撮影は避けるべきと思います。少女の顔が潰れていますが、ネガでは残っているので焼きでなんとかなりそうではあります。
仮にフランス人としておきますが、彼女は間違いなく動いています。しゃべっていました。シャッター速度が1/4ですから、動くなと言う方が無理ですが、他は明瞭に写っているのです。フランス人は真近で光を浴びているのでそのためにボケたということもあったと思います。
これはピントを外したわけではないということは自信をもって言えます。体を揺らして笛を吹いているので無理なのはわかっていました。それにしても、ソフトフォーカスは動きというものが撮りにくいような気がします。
古い映画でフォーカスアウトというのがありますが、その消える直前のような雰囲気です。
強い光にはソフトが強く掛かりますので、現実離れした雰囲気に写ってしまいます。
手前のボケは消しゴムで消し損なったような感じになります。そして少し揺れている感じがします。
明瞭なようで、そうではない独特の描写です。
陰は明瞭さが増し、光は柔らかくなります。もっともこういう現象は多かれ少なかれどんなレンズにもありますが、この画は全体的にふわっとしています。
遠景は好ましくありませんが、このレンズしか持ち合わせがなければ撮るしかありません。絞れば問題ありませんが。
カットしてスクエアにしてみました。城壁の上なので、向こう側は高い高い崖です。そのことを全く感じさせない少女の大胆さには感服させられます。
人民服の人は少なくなってきました。これを毎日着ることに決めると日々の決定すべきことが1つ減ります。時代が如何に変わろうとも死ぬまでやめられないお気持ちはよくわかります。
周囲との光量の差が大きいと暗い部分は明瞭さが増すのは致し方ないところです。
そこで室内に引き入れられた光はどうなるか見てみるとこうなりました。非常にソフトです。
自我とナルシズムが芽生えた少年は、親から携帯を向けられると、このようにポーズをとります。教育環境も含めていろいろ気になる画です。彼のやるべきことは、しっかり腰を落ち着けてオファーを待つだけです。
秘密の多い一家は、母親まで疑り深くこちらを監視しています。
少年は父親にすがりついて何かを要求しています。少年にとってはすでに大き過ぎたペットボトルのように見えますが、尚も欠けた何かを求め続けているようです。やがて大物になるのでしょうか。
これらは本来はシャッタースピードが1/4000ぐらいの筈ですが、ライカ
M3には1/1000までしかありません。モノクロはラチチュードが広いので無理やり撮っていますが、できれば露出は合わせた方が画はきれいになります。背景に独特の描写が感じられます。
現実離れした映り故、御伽の国の建物に見えます。故宮の建物なので表現としてはぴったりです。
この2枚はもう少し絞りのポイントをずらすべきでした。下の画はソフト効果が強過ぎます。よく光を見なければなりませんでした。
本レンズは条件がはまれば良いのですが、好ましくない、つまり合わない環境ではぜんぜんよくありません。すなわち、光との関係ですが、そんなに光の影響でパフォーマンスが変わるのであれば、スタジオ向けと言えなくはありません。
去る2014年9月に貴州、雲南省を通過してラオス、タイ、カンボジアまで行ってきましたので、それをここからご覧いただきます。雲南省の大理まではライツ エルマー 65mm f3.5で撮影し以降、景洪、モンラー(微信の投稿では9/18)、ウドムサイ(9/19,20)、ルアンプラバーン(9/21)、ヴィエンチャン(9/22)、バンコク(9/24)、シェムリアップ(9/26~28)、バンコク(9/29,30)と移動しましたので見ていきたいと思います。このうち、景洪では少し、モンラーとヴィエンチャンでは携帯でしか撮影していません。
景洪は中国語名で現地語ではシーサンパンナと言います。現地語とはおそらくタイ語の方言です。ここまで来ると雰囲気は中国ではありません。街の中に立っている銅像も中国のものではない感じがします。
シーサンパンナ新聞社です。雰囲気が何となく沖縄県庁に似ています。南国の建物という感じです。
景洪は小さな街で特に何もありません。少し見て次に移動します。国境に近い街モンラーにも行きますがただの中継地点です。携帯で撮影するに留めます。国境も携帯で撮影し、ラオスに入ってウドムサイに到着します。
スコールが一日に何度も降ってきて悩ませます。ウドムサイバス停に着いた途端にまた大降りになったので避難します。ふと見ると社のようなものがあって、そこにラオスの国旗が刺してあります。ここが共産主義国ということがわかります。しかし服務員の横柄な態度以外はこの国が共産主義であることを感じさせるものはありません。それもこの辺だけでタイに近づくと普通になります。中国は物資が豊かなので、この国も共産主義であれば交易で繋がりがあるだろうと思って安心したのですが、全く間違いだということがわかって後で唖然としました。どういうわけか、中国で買えたものが全くないのです。物価も中国の数倍でした。中国から物を買えばすごく安いのは明白なのですが、そうしていません。必要なものはタイから輸入しています。高くてもタイから買っています。中国と交易すれば豊かになる筈ですが、貧乏を選んでいます。ラオスは首都も川を渡ったらタイというところにあります。どれだけ中国は怖がられているのか、ベトナムに行った時にも思いましたが、ぜんぜん信用がないのだなと思いました。中国が鉄道をバンコクまで通す計画を立てていますが無理じゃないかと思いました。バンコクからヴィエンチャンはもう通っているのですが。
雨が止んだのでウドムサイ市内を歩きます。何もありません。食堂と売店ぐらいしかありません。もとよりウドムサイは何もないところとしてパッカーの間では有名です。ゆっくりしたらいいのでしょうか。そんな気にもならないぐらい何も無さ過ぎます。普通、田舎には田舎なりの面白さがありますが、そういうものもないのです。
この文字が困りものです。中国は漢字なので何でもわかりますが、少し国境を渡っただけで何にもわかりません。
狭い街ですが自転車やバイクは結構走っています。
「私はラオスを愛しています」という意味です。見たらわかるとは思いますがわざわざ言ってみました。愛国教育や宣伝は中国でもさかんにやっていますが、こんな感じではありません。使う色とデザインが違うと思います。中国は赤です。日本は愛国教育はやっていません。愛せと言わなくても愛している国ではやりません。
寒くなる季節がないので、こういうオープンな建物が多く見受けられます。これは散髪屋です。
中国が頑張って食い込んでいます。こういう絶対必要なものは受け容れるしかないのかもしれません。だけどここは閉鎖していました。国連が入っているのでそれで要らなくなったのかもしれません。それでも旅館は結構中華系が多いです。中華だと言葉は問題ないと思って行きますが通じませんのでどういうことなのかわかりません。
これは食器だと思いますがよく憶えていません。どこで撮ったのかも記憶していません。宿のフロントだったような気がします。
ビールと言うのはだいたいどこの国も自国生産します。確実に成功する産業だからかもしれません。お国柄が出ますので、これは飲まないといけません。
ルアンプラバーンはメコン川流域にあります。これを逆光気味ですが問題なさそうな角度で撮ってみました。意外としっかり写りました。ソフトフォーカスですので描写は絵画風です。
ラオスはフランスの統治下にあったので、その時代の洋風建築が残っています。こういう古いものを修理して維持していくのはたいへんです。
この街まで来ると観光客が多いので航空券を売るところがたくさんあります。ラオス航空しか飛んでおらず旧式のプロペラ機なので怖がる人が結構いるようですが、ラオス航空はこれまで無事故です。陸路でここまで来るのはたいへんなので空路を使うのが一般的です。
新しい部分もレンガを使うなど材料だけでなく、工法にも留意して景観を維持しています。ここは街全体がユネスコ世界文化遺産に指定されています。これを見ると、植える植物も重要ということがわかります。当たり前のことなのですが、中国から来るとこういうところにも感心してしまいます。
一部の宿やレストランはリゾートのようです。安宿でさえもリゾート地の雰囲気が味わえるように工夫されています。
夜遅くまで売店が出ています。絹製品が有名なところなので、布関係のものがたくさんあります。
王宮です。今は僧院になっているようです。
屋外にこういうコンセントがありました。おもしろい組み合わせだと思います。
フランス統治時代の建物がたくさん残っています。幾つかは宿にもなっています。
ルアンプラバーンは早朝の托鉢が有名ですので、それにちなんだポストカードを売っています。
市場にも行きます。この二枚はピントをきっちりと合わすと画面全体に均一にボケますが、ずれると中央が鮮明になりますから、それでここはずらして撮ってみました。
青だからOKという意味にも見えますが、表示は三角です。国際的には黄色が正解だと思うのですがいかがでしょうか。人が渡るから気をつけなさいという意味か、横断には気をつけよという意味だと思います。脇に歩行者天国があるので車両は入るなであれば、赤なんではないでしょうか。人物をよく見ると標識を作るにも伝統文化を大事にしていることがわかります。
東南アジアのフランス統治を受けた地域にはフランスパンがあります。最近はどうかわかりませんが、10年ぐらい前にベトナムに行った時にあったフランスパンは昔ながらの製法で作られていてあまりのおいしさに驚いたことがあります。最近は日本も向上していると思うのでわざわざ食べに行くほどではありませんが、そういう関連でラオスはどうなのか気になっていたので探して食べました。探さなくてもあちこちにありましたが。ベトナムとは味がちょっと違うような気がしました。フランスパンというのは味がないのが良いところだと思うのですが、旨いのは味はありますね。パリのフランスパンはどうなんでしょうか。あまり良い印象はありません。
ソフトフォーカスなので、もう少しわかりやすく出してみようということで撮影したものです。こういう日差しの強いところでは変に輝いてあまり良くないと思いますが、この効果も使いようかもしれません。
こういうものは中国では龍ですが、東南アジアでは象です。日本では何でしょうね。鶴でしょうか。
暑いところなのでアイスクリームを売っているところがたくさんあります。これもお国柄があるので試したいのですが、旅行者は体調管理に神経質なのでこういうものは食べない場合が多いと思います。それでも冷たいジュースは飲むし、ビールも飲むので矛盾していますが、なんとなくアイスクリームは避けるのです。特に日本人は食べません。日本のようにおいしいものがある国はないですからね。ビールもそうですが、だけどこれは飲むのです。暑かったらビールなんですね。夜涼しくなってもビールなんです。安いとか言って飲むわけですが、アイスクリームも安いのです。矛盾が多いのです。
貼れるところに広告を貼る、これは国を問いません。さすがにルアンプラバーン中心では問題ですが、少し離れると多くはないですが、いろんなものを見ることが出来ます。
西洋風の店が密集しているところがあります。フランス統治時代の建物があるようなところなので違和感はありません。まるでリゾート地のようですが、リゾートとは普通は島、少なくとも海沿いです。ここはメコン川です。だけど川はやっぱり海とは違います。香りが違うと思います。それでもバリのウブドも山奥なので、ここと似たような感じです。これもまた良いのではないかと思います。
ルアンプラバーンで最大の見物は、こういう静物のような気がします。どこにでもありそうなものですが、意外とそんなことはありません。市民全体の高い意識がなければ、こういったものは鑑賞できません。細かいさりげないところまで神経を配るから大きな立派な建物も引き立つわけで、雑であちこち汚くなってくると雰囲気が台無しです。掃除にかなり力を入れています。街全体が一軒のリゾートホテルの敷地内のようです。
さて、ここからヴィエンチャンに移動して、鉄道を使ってバンコクに抜けるまでは携帯で撮影して微信の方に投稿しましたのでここにはありません。バンコク以降から再開します。
バンコクと言うとかなり大きな中華街があります。言葉が通じるだろうという安心感で行きましたが全く駄目です。たぶん福建語です。普通話は話せません。漢字が多いので少しわかりやすいというだけでたいしたメリットではありません。ある路地にさしかかると黒いボードを置いて道を塞いでいます。書いてあることがわかりません。それで入ってみます。行き止まりということがわかりました。奥の広いところは中庭でした。
香港にかつて九龍城というものがありました。たいへん治安が悪いということでしたが、本当かどうかわかりません。行くことができなかったのでとても残念です。重慶マンションはというと、以前のいかがわしさがすっかりなくなり、健全な安宿街になってしまっています。大陸はどうでしょうか。お上が怖いので無法地帯はありません。皆さん、中国はどんなところと思っておられるかわかりませんが、日本より治安が良いです。古くて雑然とした感じのところも減っており、見ごたえがなくなってきています。思うに香港も返還後に健全になったと思います。中国の渾沌というものが味わえなくなってきている、どこに行ったらいいんだろうと思っていたらバンコクです。だけどここも普通の街であって別に不健全なわけではありません。夜は危ないらしいですが昼間は普通です。それでもここには華僑のディープな感じが渦巻いています。横浜や神戸、クアラルンプール、他にもまだアジアの中華街あると思いますが、どこと比べてもバンコクが深いです。中華の逞しさのようなものが感じられます。
車のナンバープレートはどういう目的で付けるのかを考えた時に真っ赤は有り得ません。だけどもデザインを優先してきた、タイ文字も投入してきたということで、いかにも南国の王国らしい風格を醸し出しています。
中国というのはいろんな意味でパニック、混乱が特徴なので、渾沌というものの魅力というのを考えずにはいられません。ところが大陸では味がなくなってきている話は先ほどしました。その最大の原因は簡体字ではないかと思います。これは宮廷の役人が速記に使っていたものだということでもう相当な歴史があります。非常に合理的に出来ています。だけど合理的過ぎて読み物を斜め読みした時に意味が掴めません。香港台湾の繁体字であれば、適当に流して見ただけで意味がわかります。文化と文字の関連は切り離せないので台湾香港は面倒でも繁体字をやめないのだと思います。漢字はデザインなのでどんなものを採用するかで街の景観を変えます。大陸はすっきりしてしまった、もっと濃いものが欲しいのに文字は薄味になってしまった、これがちょっと残念な印象を感じる原因だと思います。日本は中間ですが、中国も最低限それぐらいには戻して欲しいものです。
こういう食べ物があちこちに捨ててあります。これは供え物のような気がします。ゴミのように扱われておらず、だいたい店の主人が持ってくるからです。そして猫が平らげます。だけど猫のために置いているという雰囲気ではありません。
バンコクに少し滞在した後、バスでシェムリアップに向かい、アンコールワットを見た後また戻ってバンコクに数日滞在、そして北京の自宅に戻りました。これ以降はアンコールワット界隈に移動します。
これがアンコールワットの入り口です。正面玄関ということになります。堀の幅が広いのが独特です。日本や中国の城でもこんなに広いのはありません。
玄関に至るのは長い廊下を渡っていきます。補修中のところが結構あって、猿はそのデコボコのところが好きなようです。食べ物は相手が誰であろうと知り合いから受取るようなフィーリングで軽く普通に何でも貰います。
足下から高いところまで細かい装飾で埋め尽くされています。
手前に蓮の池があるこの構図はよく使われるようです。
よく知られた、戦いを題材にしたレリーフです。保存状態の割と良いところはこのように色が残っています。建物全体が着色されていたのかどうかはわかりませんが、レリーフの場合はあちこちに色が残っています。
この3枚はすべて同じような光の状態ですが、こういうものをソフトフォーカスで撮ると良い雰囲気です。あちこちにこういう格子がありますが、この外側にも人が十分立つことのできるスペースがあります。屋外に面した方向にはないですが、室内の方には結構な幅があります。もしかするとそこにはランプを持った女官が立っていたのではないかと思います。
クメール建築は積み上げ工法なので、あまり大きなものは作れなかったようです。それでもこれだけのものが作れるなら十分と思いますが、実際より大きくは見えます。
アンコールワットは遺跡群全体の中の1つで、他にも遺跡はあります。全部見るのは何日もかかります。
遺跡群の中にまだ壊れているところはたくさんあります。ユネスコが修復していますが、まだまだ時間はかかりそうです。
こういう細かい装飾はとても少ないので貴重です。奪われていったものも多いのだと思います。単体の女官の浮き彫りはあちこちにあって主な鑑賞は女官図の方になっています。
左が壁で右が屋外に開放されているという回廊には中央より少し右寄りに一定間隔で柱が立てられています。柱と壁の間を歩くのですが、この柱の基部にこういう彫り物があります。幻想的な演出です。
麦わらの人物はガイドです。あまりに広いのでガイドがいないと効率的に見れないし、どこにいったらいいのかわからないようなところもあります。かなり大勢のガイドが働いています。
女官図はあまりにも多くてどこにでもあります。全部顔が違います。
ここまでは全部アンコールワットの女官図です。他の遺跡は時代が違うので様式が違います。アンコールワットの図は柔和な感じがします。
アンコールトムに向います。橋の欄干は綱引きのようなデザインです。大きな相撲取りのような男らが欄干を掴んでいます。
こちらは一転して男の顔があちこちにあります。
こういう空を飛ぶような題材でも重厚感があります。
かなり崩れているところも多いですが、熱帯なので植物がどんどん押し上げて壊してしまうようです。森に覆われてしまっている遺跡もあります。
一部の石材は外に持ち出して組み上げを研究しています。途中まで組み上げたものがたくさんあります。
観光客は世界から訪れます。
クメール人と中国人です。右が中国人です。このように当時から外国の交易商人の出入りがあったようです。記録では日本人も訪れた人がいたようで、アンコールワットのあまりに美しさに彼は祇園精舎に行き着いたと本気で思ったようです。
踊りと職業の図だと思います。
アンコールワットの東にこの遺跡群の原形になったという一番古い遺跡があります。そこにもたくさんの女官図がありますが、格調と深みがあります。1つ1つに深い印象があります。結局、一番最初に作ったものが一番優れているような気がします。
もうこれで撮影はやめようかと思いましたが、帰りにバンコクの空港で少し撮影します。ソフトフォーカスは結局、光を柔らかくすることにほかならないので、このように光を発するものは溶けたような表現が楽しめます。
しばらく間が空きまして、2021年1月30日、東京・麻布十番での夜間の撮影です。かなりエリアの狭い飲食街です。ライカM9でのフルサイズでの撮影です。全てガラスコーティング無しです。f2.5ぐらいに絞った上で対象によって少し前後させる使い方です。f2.2だと焦点も割とボケますね。
2021年3月22日、公園での桜の撮影です。ライカM9で全てガラスコーティング無しです。f2.5~f5.6の間です。まだ3時半から4時半の時間帯ですが、小雨でかなり曇天の陰鬱な雰囲気です。夕方ではないのですが暗いという、夕方の暗さとはまた違うという天候です。これはその通りに撮れただけで暗めに仕上げるなどの演出はやっていません。特撮風の映像もありますが何もしていません。