物体の表面は光を反射していますので、人間は目でその光を捉える事によって知覚できます。レンズも同様で光を集めます。しかし球面のガラスを使って平面(フィルム面或いはセンサー面)に平らに結像させるのは簡単ではありません。現在はこの難しい幾何学計算をコンピューターで行いますので、数学の専門家である必要はなくなってきているかもしれませんが、かつてはたいへんな作業でした。それでもf値を絞れば収差はある程度克服できるので、すでに19世紀から優秀なレンズも残っています。それでも意図的に収差が残されたままのレンズもたくさんあります。
これは現代のCCTV(防犯カメラ)レンズ、その中でも500万画素の高級品を作っているメーカーが発表している収差図です。
左の収差は非点収差を示す図とあり、右は歪曲収差を示すものです。下の目盛りを見ると非常に小さい値なので、ほとんどゼロに近い優秀なものと見なせます。こういうものが質の良い高価な部類のものでも1,000円に満たない価格で販売されています。製造や材料の精度を下げてコストダウンするため、無収差にしておいて前後のブレを容認しているということなので、これはこれで十分に考えた上でこうなっています。
20世紀始めぐらいまでの風景用レンズの大多数は無収差を目指して作られていて、これらは大判で撮影した時に高精細の素晴らしい画が撮れました。しかしフィルムサイズが小さくなってくると特徴や見え方が変わってきて、収差ゼロのレンズは平たい、味気ない描写になってしまうため工夫されるようになってきました。この時に検討を経て加えられることもある収差というのは、どういうものがあるのでしょうか。基本的な方向性はだいたい決まっています。
この収差図は、球面収差図を左に追加したもので、3部編成で示されています。結構一般的だった映画(英:シネ、独:キノ)用レンズの収差パターンです。下の目盛りの大きさで度合いを量ることができます。球面収差は左にカーブした後、右に振れていてプラスに過剰補正されています。キノはプラスが多いです。もちろんスチールでもこのようなものはありますし、ゼロに合わせているものも多数あります。大量にプラスかマイナスに振るとソフトフォーカスになります。一般的には焦点距離50mmの場合、プラスマイナス0.3ぐらいで収めます。大口径のボケ玉は1ぐらいかそれを越える例もあります。この場合プラスが多いです。このグラフの線はまっすぐに立つこともあります。軍事産業用で使われます。鑑賞写真や映画では図のような曲線を描くようにするのが良いとされています。(しかし真っ直ぐなものでも非常に良いものはあります)。
真ん中の非点収差図ですが、マイナス1ぐらい(像面湾曲)になっています。点線も引かれているのがわかりますが、それはプラスの方に逸れています。捻じれたようなボケ(非点収差)になりますが、キノでは多用されます。オールド・ライカは線が重なってマイナスに倒されます。ベレクの本にもそうするのが良いと書いてあります。せいぜいマイナス1ぐらいです。ライカではプラスは珍しいです。これも指向性としてカーブして中央に戻すのが理想的です。
歪曲収差もマイナスになっていますが、これはプラスも結構あります。いずれにしても中央に戻すのが良いとされています。60年代のドイツはすべて左巻というのが多いです。
他には色収差の使い方やガラスの選定も関係があります。色収差があると色彩が変わって好ましくありません。それにも関わらず欧州のレンズは現代でも色収差を足していく傾向があります。色収差を足すとパースペクティブ(被写界深度)が増すからと説明されることがありますが、それだけではなく、瑞々しい描写を得る事もできます。色収差には2種類が指摘されていて像面に対して縦にずれるか横にずれるかということですが、これを組み合わせて狙い通りの色彩感を獲得します。白い紙に黒いインクで文字が書かれたものを斜めから撮影すると中央は黒ですが、手前は紫、奥は緑に変色します。基本的には好ましくはありませんが、この匙加減で美しい色彩感を演出することが可能なので積極利用されることがあります。焦点距離50mmでせいぜい0.2とか0.3ぐらいです。日本のレンズはこの収差を完全に消す方向で設計する傾向がありますので、欧州のものとは考え方が異なると言われています(どちらが良いかはケースバイケースでしょう)。色は光の三原色で補正しますが、仏キノプティックは五色補正を掛けて製造まで緻密に組むので、一回分解すると性能を失うとさえ言われるほど繊細に作られています。しかしそれは収差をゼロにするということではありません。望む収差状況にするために緻密に合わせ込んでいます。
様々な収差が重なり合って打ち消し合い焦点が合っていきますと、ガラスの構成図で示す光線の軌跡がフィルム面で合致します。これでは細かく分かりにくいので横収差図を出しますと明確になります。他にもMTF、スポットダイアグラムなどの性能を測るグラフがあります。しかしレンズの特徴となりますと縦収差図が重要です。そのため設計の本を読みますと大抵は縦収差図のみ記載があります。
基本的な方向性としてはこのようなもので、匙加減を変えてコンビネーションをどうするかがノウハウのほとんどだと言っても良いと思います。収差の加える方法自体は事実上、すでに語り尽くされていると言って良いと思います。収差を加えると言っても収差曲線がカーブしてゼロに戻すのであれば、これは仮想的な無収差となるのでしょうか、この特性は整ったレンズを作るのに必要なようです。画角を広げて見ていって、線が軸に戻っていれば、実際の使用画角で戻っていなくても良しとされます。真っすぐは良くないことが多いとされます。キノの場合は収差が多い傾向で、それと比較すると静止画用レンズの収差は少なめです。
キノがスチール撮影に適さないわけではありません。キノ・プラズマートはその名の通りキノ Kino(独語。英語なら、シネ Cine:シネマ Cinema)ですから、完全な動画用であって盛大な収差が特徴ですが、当時の広告を見ると「ライカにも使える」という記述が見られます。シネレンズの黎明期から静止画撮影転用でも良いという認識があったのは驚きです。本コラムには幾つかのシネレンズが掲載してあります。キノプティック以外にもアストロ・ベルリンやソン・ベルチオがあります。映画用は収差が大きく振られるので、加減の幅も大きく、そのためにいろんな個性のものが出てきたのかもしれません。
写真、動画用レンズにおける "完全な収差補正" とアナウンスするメーカーの説明は、基本的にはゼロに消すということを意味していますが、実際は研究されたある箇所へ狙い打ちされた補正を掛けるということを意味しています。ですから「良好に補正」と言う言葉が使われることもあります。企業秘密なので縦収差図はほとんど出していません。その補正の基本的な方向性は時代によって練り上げられてきたものであること、後は匙加減とガラスの選定等々であるということになります。鏡胴の内部構造の研究も進んでいます。