絵画的表現の極致
スーパー・シックス
英国の光学界は、19世紀よりロス Rossという長老格の会社があり、そこで学んだ設計師が独立して別の光学会社が設立されるという流れが一般的でした。英国の光学会社はチャンス・ブラザーズ社のガラスを使うなど共通点があり、個性の点を注視すると、それほどバリエーション豊かということはありません。全盛期が19世紀末でまだ光学黎明期だったということも関係があるかもしれません (チャンスのガラスを使った飲み物用のグラスは人気があるとNHK「美の壺」でやっていました)。ロスの社員だったジョン・ヘンリー・ダルメイヤー John Henry Dallmeyerはロス一族と婚姻によって親戚関係にあったので、ロス死去後、その息子と会社の経営を引き継ぎましたが、まもなく関係が悪化し袂を分かちました。これがダルメイヤー社の設立の経緯で、その後、英国の光学界が衰退するまで新設計を発表するなど中心的な役割を果たしていました。
その中でダルメイヤーのバートラム・ラントン Bertram Langtonが発表したオーソドックスなガウス型レンズで比較的明るいスーパー・シックス Super-Six (英特許 GB746201) があります。ダルメイヤー社はこのレンズに自信があったようで、それはこのレンズの命名からもわかります。Super-Six、即ち「究極の六枚」。このレンズを以てガウス型の究極の姿を明らかにしようという意図が看て取れます。この自信の根拠は何なのでしょうか。ダルメイヤーが考えるガウス型を推測して描写をみるに、ダゴールの貼り合わせ3枚を1つ剥がしたものではないかと思います。ガウスではなくダゴールの派生形ということです。そこでガラスをみますと、ダゴールの場合は同じクラウンガラス(K)でフリントガラス(F)を挟んでいます。K+F+Kです。Kは同じガラスです。これを2つ向い合せて間に絞りを入れ計6枚です。順序は、K+F+K 絞り K+F+Kです。同じKを4枚使います。F2枚も同じです。スーパー・シックスも同じK4枚、F2枚で、K K+F 絞り F+K Kです。1つ剥がして並びが少し変わっただけです。いろんなガラスが自由に使えた方が設計の幅が広がるのでガラスの種類は増やされてきました。しかし同じガラスを使う古典手法を頑なに維持しています。なぜダゴールがそんなに権威があったのでしょうか。生産していたゲルツすらもその魅力から離れられなかったドイツの宝玉であったし、その描写はフランスやオランダにまで影響を与えています。これこそが究極との感慨を抱くのは文化や国境を超えていました。そういう伝統があったので躊躇いなく「究極の六枚」と言えたのでしょう。またレンズ構成の観点からガウスは究極とも言えますので、あらゆる要素で最終形だとの確たるものがあったのだと思います。
素晴らしい究極のレンズとされる本作ですが、数も究極に少ないことについては極めて遺憾と言わざるを得ません。当初はウィットネス Witness (「証人」「目撃者」という意味ですからジャーナリスト用?) のカメラへハイグレードのレンズとして供給されましたが、真実を写し取る証言者たらんとする写真家から評価されないという悲しい運命を辿り、カメラ自体の製造数が低迷して、理想のみで不発となりました。
製造個数は少なくても製造期間は長く、1930年代から最後は80年代に特注で1本作るまで製造していました。まだ距離計が装備されていなかった初期のライカで0フランジ仕様のものに取り付けられるものも作られており、後に距離計連動に対応しました。これは50mmでした。光学部は改良もされていたようで、それはラレアク Rareacという改良型もあったことが示しています。いつかブレイクする筈と確信していたものの、その時は訪れなかったということなのでしょう。また、これ以上のガウスは作れなかったのでしょう。長期に製造はしていましたが、ダルメイヤーによるガウス型の特許は上述の1つしかありません。
画角は63°との指定ですからスケールダウンで焦点距離は35mm、本来は64°ぐらい必要で少し足らないのですが収差が多いので画角が僅かに広がって間に合います。球面収差がマイナスの設計はあまり多くないので、珍しい部類になると思います。僅かなアンダーの若干のソフトフォーカスですから、開放で靄がかかったようになることもあるのはそのためでしょう。