アール・デコ調の描写はジャポニズムにも通じるのか?
一世紀近く前に作られたレンズですが、これほど品の漂うレンズはなかなかありません。アール・デコ的描写を代表する名レンズです。特許に記載されているf2のデータを一切変えずにそのままスケールダウンしてライカ50mm L39マウント 80cm近くまで距離計連動します(光学設計自体がそんなに寄れず70cmぐらいでボケてくる)。余裕があるので絞りをf1.9に広げています。キノ(映画)なので扱いやすい玉ではありません。マシュマロのように溶けゆく儚い描写。本物は個体差がありますが、本作は元の設計に完全に合わせていますので本来のプラズマートを体感できます。
製造数:40 完売いたしました
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院落 P1 50mm f1.9 清代燭台 f2.8にて ライカM9
ドイツにツァイス Zeissという光学会社があります。同社が長年に亘って成功を収めた要因は幾つもありますが、その一つは優秀な人材を抱えていたということでした。エルンスト・アッベ Ernst Abbe(「アッベ」はガラスの色分散を評価する単位)を後継したパウル・ルドルフ Paul Rudolphは現代に至るまで影響を及ぼした多くの研究を行い、世界の光学の質を向上させました。
彼はテッサー Tessar (独特許 DE142294)という名玉を開発しました。「鷹の目」の異名を持つほど優秀な設計でした。このレンズはf6.3でしたが、ツァイス社内でさらに明るく改良すべきという意見がありルドルフは反対していましたが、この案は実行されf4.5、f3.5と向上していきました。ルドルフはどうして反対したのでしょうか。口径を増すと優秀性が失われると考えたのかもしれません。事実、鋭い描写を持つ高性能というイメージは失われていきましたが、そのことによって味わい深いレンズが多数作られるようになり、土台となる基本設計が優秀ということもあって傑作の宝庫となりました。しかしこれは結果論ですし、そのこととテッサーがどうあるべきかということとはまた違うので、その観点から見るとルドルフがテッサーに対するコンセプトを理解して擁護しようとしていたことは注目に値します。もちろんテッサーを明るくすることができるのはわかっていたでしょうし商業的理由でも必要性があったと思われますので、これは企業としては確かに考えなくてはならないことだったかもしれませんが、ルドルフはそれよりももっと重要な概念とか理念のようなものを大切にしていたような気がします。それでもテッサーは明るくすべきでしたが。
ルドルフは、20世紀の初頭にはすでにある程度の年齢だったこともあるし、財産もあるので退職し引退生活を送っていましたが、第一次世界大戦(1914~18年)によるハイパー・インフレの影響で財産が紙くず同然となり、再び働かなければならなくなりました。まもなくツァイスに復職し、キノ・プラズマート Kino Plasmatというレンズを開発しました。これがツァイスから発売されることがなかった理由は諸説ありますが、ともかくルドルフはツァイスを出、ドレスデンのフーゴ・メイヤー Hügo Meyerという光学会社と契約し、そこから販売しました。
優秀と言ってもいろんな基準はあると思いますが、ツァイスに関してはそれは性能面中心ですから昔からプラズマートのような玉を製造販売するようなメーカーではありませんでした。そのような文化を作り上げた主要な人物がルドルフで、テッサーの大口径化にも反対していた程でした。ところが退職して戦争が終わって戻ってきたらプラズマート、以前と変わってしまったルドルフをツァイスが受け入れられなかったのは止むを得ないと思います。映画用のレンズを作るにしてもいろんな考え方があり、ツァイスに近い考え方の英国系では収差がそれほど多くはない、同じ設計をスチールとキノ両方に供給していました。優秀でありながら味もあるという、そういうものが映画業界、ハリウッドでも好評されていました。ツァイスも同じ方向ですから、キノ・プラズマートのようなものに手を出す事はない、試作をみて即却下したと言われています。
ルドルフはツァイスを出ることになってもプラズマートの製造に拘っていました。どうしてなのでしょうか。それは「儚さ」が撮れるからではないかと思います。写真は真実を撮るものです。光学的に何らかの問題があればボケたりします。基本的にはただそれだけです。真実を撮るものなのに、空想までもが写るというのは普通ありえないことです。もっとわかりやすく絵画的という言い方もされますが、絵画も実在感のあるものです。それですらない、現実を超越した描写が見える、そこに本作の価値があるように思います。特にアール・デコのイラスト・ポスターの影響が感じられ、決して不明瞭というわけではない、むしろ明確な線を用いている程だが、部分においてそれほど強いインパクトを与えるものではない、全体の印象で語るような、そんな独特の描写です。当時の欧州デザインは、日本の浮世絵などのジャポニズムの影響が少なくないとされますが、実際キノ・プラズマートでの布の質感は素晴らしいものがあります。
このレンズはたいへんなボケ玉として知られていて、かつてテッサーのような優秀なレンズを作っていた人が設計したものとは信じ難いですが、彼がそれぞれの光学設計に対してコンセプトを重視するということを考えれば、キノ・プラズマートに対して明確な考えがあって、それは他の設計とは切り離して考えられていたとしても不思議はありません。そもそもこれはドイツ語で「キノ」映画用ですから映画に使えばボケ玉ではありません。それをスチールに使うから盛大な収差が目立つのですが、当時の広告を見ると「ライカにも使える」とあります。事実、ライカマウントでも販売されていました。
ブラックのアルマイトのみ製造します。ローレットはアヤメです。フィルター径は40.5mmです。
キノ・プラズマートは最初f2で設計製造され、これはパテントデータがあります (独特許 DE401630)。ここに3種の光学設計が所収されています。どうしてでしょうか。量産に採用されたのはおそらく3番目だけでしたが、いずれもコンセプトが異なるので、それぞれがすべて最終決定稿だった可能性が高いと思います。収差の配置はそれぞれ似てはいても意図は異なっているので、このプラズマートを以て"キノ(映画)"用レンズの結論を幾つも提示できるということを示したものと考えられます。
1番目はf2.5です。収差配置はライツ的です。色収差は多すぎる、少しソフトフォーカスです。かなり甘い写り、性能ではなく、描写が甘そうです。
2番目はf1.7と3種の中で一番明るいレンズです。貼り合わせは中央です。このレンズの特徴は盛大な球面収差にあります。タンバールでもプラス3のところをこれは50mmで4あります。ほぼちょうど4なので狙い打ちしたものと思われます。これは明らかにソフトフォーカスレンズです。当時映画で使われていた軟調レンズの結論として提示されたものと思います。ソフト効果はf3.4で消えるともあります。f1.7~3.4の間での使用が推奨されています。
3番目のものは実際に製造販売されたものです。f値は2と指定されています。このデータが1922年12月で、0型ライカが1923年に数十台作られています。ライツのオスカー・バルナックはライカのプロトタイプ、ウルライカより前にハーフサイズカメラを試作しましたが、それにはキノ・テッサーが付けられていたとされていますので、これはルドルフが提供したのでしょう。そして一部にはプラズマートも付いていたと言われています。ライカを作るまでバルナックはツァイスに10年勤めていました。最初期にはライカはレンズの設計をルドルフに委ね、外注でメイヤーに委託するつもりだったのではないかと思います。このf2.5はライツに提示されたとしても、少しソフトフォーカスで、ライカとしてはどちらかというと優秀なレンズが欲しかったと思われます。この経緯で、キノばかりを勧めてくるようになったルドルフを見切ってべレクを光学設計師にしたのかもしれません。ライカのレンズで貼り合わせがないものはベレク時代にはなかった筈ですので、これが量産で出ていたら名作になっていたでしょう。柔らかくも毅然とした名レンズの雰囲気が感じられます。採用されなかったルドルフは、それでも量産されたキノ・プラズマート f1.5をライカに供給しています。
次世代のキノを提案するためにここに進化の過程を3段階で示したのかもしれません。f2.5は古典的なキノの設計です。f1.7で軟調になり、1920年代当時の将来ではf2だということなのだと思います。或いは、全て製造したかったのかもしれません。Nr.2は内側を貼り合わせているのは理由がある筈で、軟調ポートレートにはこの方が良いのでしょう。このレンズ構成では、ダルメイヤーのスピード・アナスチグマットもありますが、絞りを挟んで内側の2枚は極端に薄くしています。厚くするとプラズマート独特の溶けるような表現となりますので薄くして引き締めたのだと考えられます。対してより厚度を増すと、さらにソフトも加わっていますので、それは世にも美しい蕩けるような表現になるのではないかと想定されます。もっとも清楚で美感に優れているのはおそらくf2.5でしょう。軟調では効果を変えるために回して調整、或いはエレメントを交換するといったものが極初期からあったようですが、そうではなくキノはこの3本を用意して交換せよということだったのではないかと思います。しかしf2.5とf1.7は生産されていないと思いますので案だけで終わったのではないかと思います。
f2からf1.9にしてみます。絞りの口径とガラスの直径を少し大きくしただけです。全体が僅かに少し大きくなりますが特許データは曲率と間隔、ガラスの種類だけなのでオリジナルを変更するものではありません。しかし球面収差が多すぎるので+0.1mmまで引っ込めています。f2であれば手堅い写りになりそうですが、f1.9なので少し甘くなりそうです。
もっと突っ込めるでしょうか。f1.8も見ておきます。球面収差が+1.0を超えてきていますがどうなのでしょうか。また像面の湾曲も結構増えてきます。無理があります。美しいと言えるのはf1.9までではないでしょうか。f1.8は限界なのでここから先は設計変更だっただろうということです。f1.5のことです。
f1.5というのも中途半端で、できればf1.4とf2から2倍の明るさにしたいところですが、これが難しくて結構50mmでf1.5というレンズは各社設計しています。ボケ玉が多いので人気があります。f1.4まで無理していないところの美というものがあります。一方、f2から少しフライングしたf1.9も魅力があり、かなり名玉が作られています。数学的には中途半端なのですがこれが結構良いのです。f2はきっちり真面目ですが、f1.9とすることで加えられた微妙な味が絶妙です。もしf1.9のプラズマートがあったら現代ではf1.5よりも人気があった可能性が高いでしょう。75mmではf1.9は作られていました。プラズマートは近年まで人気のない玉でした。収差が盛大に出るので嫌う向きも少なくありませんでした。経済発展した中国で人気が高まり状況が一変しました。中国人はボケ玉を一定の距離を置いて冷静に評価するので、彼らが高く評価するボケ玉というのは珍しいものでした。どうしてプラズマートは評価されたのでしょうか。彼らはレンズに関しては丁寧に分析する傾向があるので、これがライカレンズの原点だったことに拘ったのではないかと思います。ベレクの設計書にはライカレンズの収差の決定について解説がありますが、それを説明するのにf2のプラズマートについて詳細に解説しています。おそらくベレクの師はルドルフだったのでしょう。こちらに本物のf2の作品が多数載せられています。
当時映画はほとんど業務用ですが、非常に裕福な人でアマチュアもいました。アマチュアが映像撮影にf2,f1.5のどちらを使っていたのかは個人の好みだったでしょうけれども、業務ではf2でした。ハリウッドではf2で良いものが求められていました。50mmレンズにおいてf2とf1.9は分岐点です。きっちりしたレンズはf2、絵画的な方向性ならf1.9が多くなります。そこでf1.9側に移るのであれば倍ぐらい(f1.5)は明るくできるということなのだと思います。だけど50mmで一番バランスが良いのはf1.9です。或いは別の観点ではf2です。ズミクロンやスピード・パンクロはf2です。英クックは戦前から数ヶ月毎にガウスの新設計で特許をとるぐらいガウスの可能性を見出していましたが、明るい設計も結構あったにも関わらずパンクロは頑なにf2で通しています。ですから50mmにおいてf2を過ぎたすぐのところにある何かというのは不文律的に認識されていたように見えます。そのポイントがどこなのかというところで、プロ或いは業務用の高度な信頼性を確保するためにはf2は超えてはいけないという法則がかなり初期の頃から理解されていたのではないかということです。f2とそれより倍程明るいレンズの違いはズミクロンとズミルックスの違いに例えることができます。ズミクロンもf1.9にすると少しズミルックスのようになってしまうでしょう。それだったら倍ぐらいに明るくしても良いだろうということになります。しかしf2から少し広げただけのf1.9は名玉が多いです。無理のない理想的な口径です。ですからプラズマートでもしf1.9が出ていたらf1.5より高評価だった可能性は低くはないと思います。英ダルメイヤーではセプタック(f1.5)よりスーパー・シックス(f1.9)の方が、仏アンジェニューではM1(f0.95)よりS5(f1.5)の方が良く、それよりS2(f1.8)の方がはっきり良いです。どこも50mm f1.9の黄金比から逃れられていません。ですから、このf2のデータをf1.9にしたいところです。一方、f1.5は戦前には凄いスペックだったので、この数値を出しただけでアマチュアには売れやすいし、高値も付けやすかったと思われます。
使用ガラスについて: ショットの型番で前からSK15,LLF1,F1、絞りを挟んで対称です。製造商で選択できるのはドイツ、日本、中国です。精度に差があり、メーカーの方が公開しています。軍事、宇宙、医療などでは極めて高性能が要求されますが、コストもかかることですので必ずしも精度の高いものが必要なわけではありません。おそらく作っているのは中国CDGMで、ここが高グレードを他社に納め、自社では少し甘いものを安価に出していると思われます。しかし写真レンズに対してはCDGMでさえも精度が充分過ぎるぐらいです。産業でも使えるぐらい極めて精度が高いです。上記の厳密な合わせ込みに影響を与えることのないぐらいの高精度です。ですが、今回のP1はSK15,LLF1は日本の小原(OHARA)を使用します。F1は現在全てのメーカーで在庫無しです。しかし日本の光ガラス(ニコン)のストックが見つかりましたのでそれを使いました。
ドイツ語でキノ(英語でシネ、シネマ)を冠する本作は映像関係の用途も想定されます。元は映画のレンズですから動画でこそ活かされるでしょう。今の世の中で映像というのが重要になってきていて、YouTuberにならなくても撮影の必要性が多くなってきています。Zoom会議も多くなってきています。映像の質で売り上げが変わるので重視されています。しかし映画用のレンズとなると巨大なプロ用になってしまいます。映像の場合はヘリコイドのピッチが違います。写真用の倍ぐらい回転します。つまり微妙なピント合わせができる反面、遠いところから急激に合焦させるのは苦手です。写真はその逆です。中間を採ることにしました。3/4回転ぐらいで80cm近くまで寄れます。絞りもクリック無しです。動画はクリックがない方が良いためです。コーティングはなかった時代の設計なので無しで製造します。
映画用のレンズは今も昔も製造が少数です。キノ・プラズマートも製造数が少なく、そのためデータも少ないのですが、わかる範囲でリストします。
Lunar Camera | f2.0 | 20-120mm |
キノ | f2.0 | 0.875-5.0" |
ライカ | f1.9 | 3"(75mm) |
ライカ | f1.5 | 40 50 75mm |
f1.5 | 0.375 0.75 0.875 1.0 1.375 1.625 2.0 3.0 3.5" | |
8mmキノ | f1.5 | 12.5 15 20 25 35 42 50mm |
最短撮影距離は80cmぐらいが限界です。推奨はできませんがさらに寄ることも可能です。具体的なデータを以下に示します。赤で示しているのが対照距離、その下の黄色で示しているのが無限を基準にした繰り出し量です。マクロ撮影の例もあります。