Kino Plasmat f1.5は、最初期型をトレースすることになりました。
使用ガラス、収差など既に明らかになっており、コンピューター上では確認できております。f1.5は肖像用に適すると思うので、少し長くして75mmで考えています。ラージフォーマットでも使えるようにします。
レンズの生産数が多い方が単価が下がるということで、これまでかなり余分に作っていましたが、本レンズに関しては、ほぼ予約分だけの生産で考えています。或いは、マクロ・プラズマートでも検討しています。
プラズマートは50mmを製造してそれほど経っていませんが、これは40本生産で製造直後は20ぐらい販売、以降一年半かけて5本販売しました。残数のカウンターを設置していたので15を切るとパニック買いで2週間ぐらいで売り切れました。何故か苦情もあったりしたので、それ以降カウンターを表示しないことにしました。本当の意味での必要な供給量は25ぐらいだったのではないかと思っています。
これまで小店から直接ご購入いただいた方で、P1の先行販売以外の方々には何の還元もしていません。プラズマートが続くので、この辺りで過去にご購入いただいた方には割引を考えています。購入者が世界的に少なくて、それぐらい写真を撮っている人が少ないということ、またボケ玉なので扱える技術のある人もそんなにいないからだと思いますが、そうであれば予約分のみの供給で良いのではないかと思います。小店は消費税を払っていないので売り上げに上限があります。一定以上は販売しません。そのため、多くても年に一回となる見込みです。そういう意味でも予約分のみに絞った方が良いのではないかと考えています。
「多くのレンズ論を上梓して居る方々は、理論のみでレンズの味を引き出す作品は撮って居ないし、撮れないのだと思われる。それ程、レンズの味を魅せられる作品は難易度高いのです。」青柳陽一先生
この日本蘭、花弁の大きさ15㎜と実に小さな花ですが、何とも気品ある蘭で、品位と格調高い、作品を目指しました。
撮影難易度この上なく高く、focus合わせは、カメラを手持ちで、微動させながら、撮った苦心の作品です。この作品ストロボ4灯、サイドから1灯、スヌート2灯、前から小型レフ反射、背景色は反射光線1灯使用です。
私が師事した、杵島隆師スタジオ(現在残ったのが、古い順に青柳陽一→加納典明→野町和嘉JPS会長の3人のみ)から巣立ったが、我々は狭き門を潜り抜け、世に名を残したけれど此処迄大変でした。
レンズも、時を経て名玉と言われる迄、長い道程をゆっくり歩む玉も在れば、一瞬に名を轟かせる宝玉も現れますね。Pro TESSAR M1:1は,そもそもは学術資料コピー用撮影レンズだったと聞きました。然し私の様に、「花」を撮るとは当時の設計者、想像もしなかった筈だと思われます。focus合わせが、非常に難しいレンズの筆頭です。
Zeiss Pro-Tessar 50mm f2.8
青柳先生に文を掲載しますと言いましたら直近に撮影した写真を一枚送ってくださったので掲載いたしました。レンズの味を理解して運用するのは特殊技能です。スチールで十分に運用できても動画で同じように可能かというと全く別で、プロの現場だとスチールと映像は違う専門家が来ますね。機材が違うから? いやいや、スキルが違うのですよ。小店の作例は動画がありませんが、それは撮ってもダメだからです。撮れるボディすら用意していません。頭の使い方が違うようでどうしようもありません。尤もレンズの味を見るには静止画の方がわかりやすいと思います。
我々はあらゆるレンズを所有しているわけではないので、ネット上で作例を参照して個性を掴みますが、わかりにくいものが多いです。同一パターンでしか撮影していないとか、これではある一面しかわかりません。望遠やマクロのように特化しているものはそれでも良いのですが、標準レンズとなるとそういうわけにはいきません。小店は作例を多数載せていますが「難しすぎてわからない」とよく言われます。数値やデータで理解したいというわけです。そういうものではないと思うのですが、そこに収差図なら掲載しているので混乱するのでしょう。「すみません、頭を使うのですか? それはわからないでしょうね」とお答えしています。ご覧いただいている方々の99%がわかっていないでしょう。小店店主はわかっているのでしょうか? いやいや、難しいのではないですか。撮れないのはしょうがない、ですが撮られたものすらわからないというのは如何なものか、そういう場合は携帯電話のカメラが一番無難と思います。極めて最大公約数的なものだからです。誰もが良しを追求しているものです。これでいいのですよ。だからカメラは売れなくなっている、これが我々を取り巻く現在地なのです。まず携帯のポテンシャルを最大限引き出せなければならない、だが足らない、何か不満、こんなんじゃ表現できないよ、となってこないと次に行きません。ツァイスのパウル・ルドルフは若い時に優秀な玉を多く設計し、晩年にはキノを強力推薦する人に変わっていきました。レンズで表現できる限界を見た人は必ずキノに行き着きます。こういう人で尚且つ経済力がある人口が非常に少ない、芸術家は金がない、この点では海外からも結構苦情があります。どうしても欲しいが定価で買えないので中古で探しているが出ないと、助けてくれと、ダメなのか、死にそうだと。彼らは表現=生きるだから。歴史上、ボケ玉を作っているところは全て倒産しています。難しい問題なのでこれについては考えています。
レンズの製造はかなり高額なのですが、製造の木下光学さんオリジナルレンズはそんなに高額ではありません。数も多く作っているものと思います。木下さんからはこれと同じ仕様外観なら安いのでその方が良いのでは?と提案いただいているのですが、ちょっと無理ということで大幅な高額となっています。変更は特に中国の方から反対意見が出ています。絶対に東京製造を維持してほしい、全然違うと言われています。レンズは芸術品なので誰が作っているかが非常に重要です。例えば小店店主は何をやっているのでしょう? 古い特許を持ってきただけ? この75mmは違いますが、以前の50mmは単にそのままデータを持ってきて発注しただけ、大雑把にはそうなります。事実は多少異なりますが。ほとんど何もしていないのではないでしょうか? ですが、別の人が同じことをやると違うものができてきます。いや、同じなのですが、何かが違う、雰囲気のようなものが違います。不思議なもので、しかしここで問題になっているのは小店の発注先なのでこれは関係ありません。
さらに東京製造という要素が最終的に出来上がるものにかなりの影響があります。ベルリン、パリ、ロンドンで作ったらまた違います。昨日、ジェーン・バーキンさんが亡くなりました。「バーキン」を買うのにエルメスである必要はありますか? 中国のスーパーコピーの他、世界の名だたるメゾンがこのコピーを作っています。かつての下請けも作っていますが、物は本物なのでしょう。クレジットが違うだけで物は同じだからです。良いものはたくさんあります。それなのにエルメス? なぜなら、他のものはエルメスの雰囲気を纏っていないからです。雰囲気は理解の蓄積が生み出します。そのため関わっている人によってかなり変わってきます。100%製造している下請けがエルメスを外して同じものを作ると物は同じですが何かが変わっている、そういうものなのです。作る方の人たちも重要です。トータルで何ができるかなのです。そこまで行くと掃除のおばちゃんですらも重要という概念になってきます。それぐらいデリケートです。今年、サッカーの欧州クラブの大会で頂点に立ったチームを率いていたグアルディオラは、自身が受け取る賞金全てをクラブのスタッフに分配して欲しいと要請しました。出入りの外部業者にまで分配するらしい。みんなで勝ったのだから、この積み重ねがないと大きな仕事はできないと、そしてそれが伝統になってゆきます。日本人はわかっているので世界の200年以上続いている老舗の6割は日本にあります。エルメスが築いているものも同じです。この構築が非常に難しいのでヴィトンが買収攻勢を仕掛けたが失敗したという事件も発生しました。コストと経営も考えなければなりませんが、安けりゃ誰でもいい、これは作る物によります。芸術品は難しい、飽きやすいおもちゃになってしまいます。この飽きるというのが本物か否かを完全に分ける最重要な要素です。しかも描写ですから、かなり繊細なものです。
レンズはパテントで決まっています。ですが、ドイツ人が当時のガラス製造法で当時の材料で当時の鏡胴の設計で当時の金属で作るわけではありません。これらの相違が微妙な違いをもたらすはずです。尤も我々は劣化した現代に残った本物しか知らないので、しかもデジタル、色々違ってきています。復刻なのでパテント通りなのですが、不確定要素も少なくはないのです。我々が100年前のドイツ人になれないことも含めてです。そんなことを言っていてはしょうがないので作るわけですが、一回中国・深圳で作ってもらったことがあるのです。パッと見て良いな、というのは中国は作れるのですが、全く文化がない、優秀なんです、それは間違いないのですが、これでは飽きるだろうと。どうして中国はダメなのか? 北京市内に工場がないからでしょう。生産地が重要なのだから。北京製だと魅力あるものができた筈です。エルメスより大峡の方が良いという方もおられると思います(なぜ突然大峡?という方もおられると思いますが、ここはハンドメイドで日本最高。従って世界最高の1つ。それはネットではわかりませんね。ネットの情報なんていい加減ですから)。大峡は東京・北千住から本社を移していません。全部宇都宮の工場に引き上げたら、今のようなものは作れないでしょう。大都会の空気を吸うことが非常に重要なのはわかっているのだと思われます。東洋の美を代表するものを作ろうとすれば、それを象徴する土地に住んでいないと製造できません。こういうものを見て、東京かな?と。そのためすでに製造した過去の3本は、全然違う玉にも関わらず、描写に何か一貫した個性があります。東京独特の何かがあります。控えた美があります。説明が長くなりましたが、この理由で安価に製造はできないということです。本物でないと意味がない、中途半端だったら現行既製品で全然十分、あるいはヴィンテージをそのまま使っておいた方がマシです。
予約を受け付けるようになりましたら、本数別の見積もりを出して金額を掲載します。カウンターを設置しますので、それを目安にご予約できるようにします。上述の理由で製造は来年以降となります。単に予約では、空予約が大体半分ぐらいになるので先に全額支払っていただきます。P1の時にもこのやり方でしたが、今後はこのパターンで行こうと考えています。 - 2023.07.17
一般に世間で多数出回っているのはf1.5です。下がHugo Meyerのカタログに載っているf1.5の図で、f2とはガラスの形状が少し違うのがわかります。VadeMecumを参照するとf2は映画用しか作られておらずレア、これを写真用に転用した例はLunar Cameraというほとんど木の箱という代物ですが、おそらく最初中判が出てこれにはプラズマート 90mm f2(キノは付きませんがレンズ構成はキノ)、その後ライカ判に変わった時にプラズマート 50mm f2(これもキノ、つまりパテントデータのもの)に変えられたようです。レンズ交換は基本できないと思われ、にもかかわらず標準レンズにキノという、ぶっ飛んだ構想でした(本稿をご覧いただいているようなボケ玉使いのテクニシャンには何ら問題ないかとは思いますが)。尚この頃、ライカはまだ出ていなかった模様です。ライカの試作にはこのf2が付けられた可能性があります。しかしf2のスチールへの転用は量産品ではおそらくルナー・カメラだけです。
Kino Plasmatは