無一居

写真レンズの復刻「むいちきょ」
紀元2012年1月創業

肖像用の最初に得られた結論だったペッツバール Petzval

2014.04.03

幾何学計算に基づく世界最初のレンズ

 ペッツバールレンズについての概要は、幾何学計算に基づいた世界初のレンズ1を参照して下さい。本稿ではこのレンズの幾つかのバリエーションを見ます。最初にペッツバール自身が設計した数値、続いて幾つかの改良型を確認します。

ペッツバールレンズの構成図
 この図では使われているガラスが示されていてフリントガラスをクラウンガラスで挟む形になっています。製造可能なガラスのデータはあらかじめフォクトレンダーから提供され、それに基づいて設計されたようです。クラウン、フリントはそれぞれどちらも同じガラスが使われます。

ペッツバールの元の数値
 これは、ペッツバールが計算によって導き出したと言われる数値です。曲率しかありません。焦点距離は100mmです。これ以外にガラスの間隔とガラスの種類がわからないといけませんが、適当と思われる代数を放り込んでも結構きちんと結像しますので驚きます。そういう理由でこれだけのデータで十分だったのでしょうか。ともかく、最初はここからスタートしたようです。その後、様々な光学会社がこのレンズを製造するようになり、初期の設計が様々な文献に計3種類が記載されています。

Ederの光学図
 1つ目は、エダー Eder著、Das erste Petzval'sche Portraitobjectiv, Photographische Correspondenz, 1899,XXXVI, S. 274に記載されている設計値です。エダーはエミール・ブッシュ Emil Buschのパントスコープ Pantoskopを設計したことで有名です。この本には2種の焦点距離で記載があり、製造されたものは145mmで作られたようですが、100mm相当の数値も載っており、ここではその100mmの方を確認しました。ガラスは載っていますが、間隔は載せられていません。ここでは相応しいと思われる値を代入しています。結果、焦点距離は87mmと出ましたのでおかしいですが、収差はレンズの厚みや間隔を動かしても大差ないのでこのまま行きます。口径はf3.6で指定されています。

Ederの収差図
 イメージサークルの指定もあり40とありますので、それに合わせると画角は26度となってこのようになります。これはペッツバール原典と判を押したようにまったく同じです。数値が近いので当然でしょう。エダー版と原典は同じものと見なしても差し支えないと思います。

Rohrの光学図
 2つ目は、ロアー Rohr著、Ueber åltere Portråtobjektive, Zeitschrift für Instrumentenkunde, XXI, 1901, S. 40-52に記載されている設計値です。ロアーはツァイスの設計師ですが、著作がすごく多いので論文で主に知られています。ガラスの間隔も明記されています。これもまた大同小異ですが、曲率一ヶ所を少し変えています。第3面が違います。口径は指定通りf3.4です。

Rohrの収差図
 おそらく曲率一ヶ所の変更の理由は、歪曲をもっと無くしたかったということだと思います。色収差も半分以下になっています。球面収差は-0.64から-0.11まで減っています。

Gleichenの光学図
 3つ目は、グライヘン Gleichen著、Lehr buch der Geometrischen Optik, 1899, S. 477に記載されている設計値です。さらに修正し、第3面は同じく減ったままで、第3,4レンズの間隔をほぼ消しています。焦点距離と口径は同じです。

Gleichenの収差図
 歪曲は元に戻っていますが、非点収差が乱れています。ここまで順番に見ていくと意図的だということがわかります。この設計はロアーの別の本 Theorie und Geschichte des Photographischen Objektivs 250頁によるとペッツバールの原典としてこのグライヘン版が載せられています。確認しますと半画角は12度とあります。上掲の見積もりは他と合わせて13度にしてありますので、収差は12度で見るなら少し減ります。メリディオナル線が4.11に達しているのがそれより一段低い2.8ぐらいかそれ以下になると思われます。しかしこれだけあれば写したものを見たらはっきり効果は出ると思います。

 ここまでが1920年パリで出版されたエミール・トラオレ Emile Turriere著 Optique Industrielleに所収されていたというペッツバール基本形3態です。原典はエダー版と同じものと見なせば、そこから若干の変化がもたらされ、それらも各光学会社で作られていたということのようです。ガラスの間隔を変えられるものも作られていましたので、顧客の要望に沿って収差を変えていたということもあったと思います。そうすると無限のバリエーションがあったことになります。

 ライカレンズの設計師マックス・ベレクの有名な著作(Grundlagen der praktischen Optik Analyse und Synthese optischer Systeme 邦訳:レンズ設計の原理 3章 三角追跡することにより補正状態をしらべること)に、このレンズの分析が出ています。引用は赤で示しています。古い表現もありますが修正していません。

ベレク著作の図31
 Fig.31には歴史的に興味のあるレンズ、すなわち老大家のペツバールが1840年頃肖像写真用に設計し、今日でなお実用上の意味を失っていない最初の明るい対物レンズに対し、この系の最初の構成データに対応する収差が描かれている。これは横収差図ですので、対応するものを出してみます。画角は0,6,12,18度の4種ですので同じように出します。上下は逆になっています。意味するところは同じです。

ペッツバールの横収差図
 直ちに、このレンズの本質的な収差は像面湾曲だけだといういうことがわかる。おそらくロアー版だと思います。他にも収差はありますが、"本質的な"ものということになると確かにそう言えます。対応するザイデル和の大きさから実用上も邪魔になるのである。それぐらいはっきりと収差が画像に現われるということです。相当大きな収差なので当然だろうと思います。球面収差は非常に小さく、全く顕著なのはコマの補正である。歪曲は厳密に言えば大きな画角に対して存在するが、実際上は認められない。球面収差は僅かにアンダーです。この本の内容では「補正状態を調べること」という内容で進めていますので、このように細かくチェックしているものと思います。コマは少しはあるような気がします。歪曲はありますが、目視でわかる程度の効果は出ないとしています。ペツバールの肖像レンズでは像面湾曲に対するザイデル和がすべて正であるから、すべての像面はレンズに向かって凹であり、非点収差図で左に倒れているのでそうなると思います。球欠断面に対する曲線を書いたとすると、子午的曲線よりももう少し横軸に対する傾きが大きく、傾きの向きは同じになるはずである。ほとんど変わらないように思いますが。大きな像面湾曲のことを考慮しても使用できる画面の範囲内では、非点収差と歪曲は、開放絞りでも全く認められない。その通りだろうと思います。中央はかなり鮮明ですから。したがってこの対物レンズは確かにアナスチグマチックで歪曲の無い状態に補正されているが、像面湾曲がひどいためにこれは決して「アナスチグマット」とは言えない。これもその通りです。肖像用レンズはペツバール自身によって種々の変形が与えられ、非点収差と歪曲の補正を無視して平均像面湾曲を非常によく補正したようなものも作られた。グライヘン版のことでしょうかね。これらの変形を考えに入れると、ペツバールが収差の関係についてどんな洞察をもって彼の仕事を遂行したかを理解することができる。おそらくこの変形データは本稿の3種のことだと思われます。別項のザイデルの三次の収差論の序論にはこう書いてあります。現場の光学屋はいかなる場合にも収差の正確な値を必要としているという事実である。正確な値を知ることができれば、補正を自由に加えていろんな味のレンズを設計できます。この可能性をベレクはペッツバールの複数の変形から見いだしたのだろうと思います。

Emil Buschの光学図
 さらにグライヘンが1911年に著したTheorie der Modernen Optischen Instrumente, S. 271に記載されているエミール・ブッシュ Emil Busch社の設計値を見てみます。いろいろ試しているうちに最終結論に集約されるようになっていき、ある光学会社は自社の考える最良のレンズを提示するようになっていったものと思われます。当時のユーザーはプロの写真家でしたので、彼らが光学会社に提示する要望や規格は何の裏付けもないようなものではありませんでしたが、結局は光学会社から逆提示を受けた方が良かったのだと思います。光学会社の方が情報が蓄積されているからです。練り上げられた本当に良いものは誰が使ってもいいので、そうなってくると個人の要望を提示する意味があまりないという方に傾いていったと思われます。そういう流れの中でベルリン派の長老 エミール・ブッシュ社が提示した結論を確認するということになります。口径はf3まで向上しています。

Emil Buschの収差図
 収差は比較のために100mmに変えてから表示しています。今度は歪曲を減らして球面収差をマイナスに大きく振っています。均整の取れた柔らかい雰囲気が味わえそうです。

ダルメイヤー Dallmeyer ペッツバール Petzvalレンズの広告
 英ダルメイヤー Dallmeyerは1866年に後群の2枚を入れ替えることができることに気がつき特許 (米特許 US65729)を取得しました。上の広告でもそのようになっています。具体的なデータは特許に記載がありませんが、エミール・トラオレ著 Optique Industrielle No.80に記載がありますので確認します。f3です。

Dallmeyerの光学図
Dallmeyerの収差図
 このように実際には何ら大差がなく、製造される場合はどちらの形式も人によってそれぞれ使われて、同じ会社でどちらも作るというところもありました。ボシュロム Bausch & Lombはf4シリーズAをダルメイヤー型で作り、f2.2シリーズBはペッツバール型で作っていました (最近ロモグラフィーがPetzval Art Lensという復刻を発売しましたが、これは85mm f2.2ですのでペッツバールオリジナルではありません。もしかするとボシュロムあたりのコピーかもしれません)。ダルメイヤーの特許では後群の間隔を変えることでソフト・フォーカスの効果が得られるとあり、それに基づいてボシュロム・シリーズAではそのための調整機構がついていました。ダルメイヤーのペッツバールはかなりシャープなレンズであって、これとソフト・フォーカスは別のものとして切り離して考えられていたようです。ダルメイヤー社の売りは「ペッツバールオリジナルよりもシャープで収差が少ない」というものだったようです。確かにこのデータを見るとそう感じられます。

 ダルメイヤーはフランスのダルロー Darlot社によってコピーされ、それを宣伝文句にして主にアメリカへ販売されていたようです。英国物は高かったので、より安価な選択肢を提供したものと思います。しかし両社の描写は異なりますので現代では別物と考えるべきと思います。さらにアメリカではこのダルローがコピーされ、ブークン・ジェームス Burke and James社でレンブラント・ポートレート Rembrandt Portraitの名称で販売されました。

 ダルメイヤー型はフォクトレンダー Voigtlanderの異母兄弟 ツィンケ・ゾマー H.F.A.Zincke-Sommerによってf2.37まで明るく最良され、このデータがロアー著 Theorie und Geschichte des Photographischen Objektivs 275頁に所収されていますので確認します。

Zincke-Sommerの光学図
 焦点距離100mmで、口径はf2.37です。半画角は15.5度です。光線を見るとf2.37は無理があります。計算上の値と見なさなければなりません。本の記載を見るとf2.4で、発表値がf2.37というようなことが書いて有ります。

Zincke-Sommerの収差図
 1878年、フォクトレンダーはペッツバール型を改めて検討しなおしました。前群については球面収差を完全に補正する必要がなく、そのため前群を適当にベンディングすることができれば、前群も後群も貼り合わせた新型ができると考えました。そしてダルメイヤー型を土台にした新設計で特許を申請しました (独特許 DE5761)。これにはデータが載っていますが、ペッツバール型から離れるので、ここでは確認しないことにします。

ペッツバールの肖像 ペッツバールの肖像

 全6種のペッツバールレンズの設計を確認できました。考え方や時代、地域による変化もあってどれも興味深いですが、収差に少しの修正を加えることで効果を調整していたことがわかります。ペッツバールはフォクトレンダーの遁走後、欧州の他の光学会社でも作られるようになりましたが、それらの会社がペッツバールに相談していたとすれば、ベレクの言うように初期の知られている3種の原典が彼の手になるものであることは理解できます。英国では収差が減らされて高性能なレンズが作られたこともわかります。島国人はこういう観点から評価する傾向があるからです。しかしドイツではさらに収差が増やされるという逆の方向だったこともわかります。英国物が仏でコピーされ、これがまた別物、つまり収差が増やされて米国に渡る、一方、英国から直接米国に渡った例もありますが、米国のコピーもやはり収差は増やされる傾向にありました。ボストン・オックスフォードにあったピンカム&スミス Pinkham Smith社の設計師ワルター・ウォルフ Walter Wolfeがダルメイヤー ベルグハイム Bergheimを見て「米国人の好みに変えた方が良い」と言ったと言われていますが、このことは硬い英国鏡の利点が大陸人にとって違和感のあったものだということがわかります。昔の日本と欧州のレンズの違いにも同じようなことが言えると思います。



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